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🤔 何をもって“面白い、楽しい”とするか… (1人語りなので畳み) (▼ ネタバレを含むコメントを読む。 ▼) リレーCP第6話 5日卓になっちまったよ・・・。 先制さえとればほぼ確勝、CRPGのラスボス戦でちょくちょく見かける「確実に追い詰めているけど後一手足りない」というぐらいを狙ってみたけど上手く行っているだろうか? さて本題、どうやって“面白い、楽しい”を安定して提供し続けるか。1度でも仕事にするつもり、もしくは仕事にしている人たちへの憧れでペンを取った事がある人なら考えたことがあると思う。 個人的に“面白い、楽しい”を感じている時は次の冒険や未知に飢えている時だと考える。なおかつ、冒険や未知に対して約束された報酬があるとき人は「やりがい」を感じる。「やりがい」は喜びとなり、やがて「成功体験」となって人は「次」を求める。 悪い文明と揶揄されるガチャに嵌る人が居るのは上記の中毒性から抜け出せないからではないだろうか? ただこれは消費者側の視点だ。オノマトペを使うなら「ワクワク」になるだろう。 なら生産者側の“面白い、楽しい”とは…これが大問題だ。 生産者にとってのやりがいは「自分にとって有益な事」をしているという確信に由来すると自分は考える。ただこれには版権元でも陥いるワナがある。いわいる「作者は面白いと思った。」だ。 作者は“面白くて”もそれが独り善がりな物になってしまっては受け手は疲れてしまう。疲れは「退屈」や「拒絶」につながり「つまらない、楽しくない」という言葉になる。 ならばどうするか。 自分は全力で“あなた達の物語”を演出する。「感情移入、没入感、自己投影」これを適時適切にねじ込む、個人的にはコレを管理できる事が“作家の才能”、そしてそれを年単位で維持、供給し続けられる人が“作家”を仕事に出来る。 自分はそう考えている。
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