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😶 感動モノだけはやめておけ… 物語のパターンにはいくつかの型がある。 ・善行懲悪 ・成長や青春 ・情愛 ・アウトロー ・推理と考察 そして、感動の物語とはどんなものだろうか? 俗語としての感動ポルノ 先ずこれは除外していいだろう。あれは「かわいそうな○○」を主人公に据えた成長モノだ。そこまでは良い、大いに結構、行けるとこまで行ってこいである。が困ったさん達は同情的な自分の感情を“絶対的正義”と位置付けて“自尊心を満たす”手段にしてしまっている。彼らが見たいのは誰かの成長ではなく“絶対的正義”を遂行する自分達だ。彼らにとって「かわいそうな○○」は大義名分にすぎず彼らの主語は自分達の“英雄的振る舞い”の正当化にある。 ものすごく、俗な単語を使うなら「オレTueeeeee」がしたいだけ物語として論外だ。 ここからは自分の体験をもとに書いて行くがそもそもの前提として感動とは何だろうか? 辞書曰く、「物に深く感じて、心を動かす事」だそうだ。 “感動”が辞書の通りの概念であるとするならば外的要因の「物に深く感じて」と内的要因「心を動かす事」の二つによって成り立っている事に気付けるだろうか?「心動かす事」のトリガーは他人の心に依存する事でありこちらでどうにかすることは出来ない。 では自分でどうにかする事が出来る外的要因「物に深く感じて」とは何だろうか? 例えば、親兄妹の大成 価値観を共有する同一コミュニティ内の出来事であり、どう大成したかは今回考えない事にする。 親兄弟の大成はそれすなわちコミュニティの成長であり好ましい出来事だ。嬉しさのあまり“涙を流す”者もいるだろう。 例えば、親兄弟との離別 価値観を共有する同一コミュニティ内の出来事であり、どう離別したかは今回考えない事にする。 親兄弟との離別とはコミュニティの縮小であり、苦痛を伴う出来事だ。苦痛のあまり“涙を流す”者もいるだろう。 例えば、苦境の打破 これは価値観を共有しないコニュニティーでも発生し得る。なぜなら“苦境”の定義は「苦しい境遇・状況・立場。」でありそれが種の存続にかかわる状態である事もありえるからだ。 それは、試練からの解放であり、将来への展望である。すなわちコミュニティの誕生だ。未知の未来に胸を躍らせる者もいるだろう。 自分が物語のパーツとして「感動」つまり「物を深く感じる」事を使うならこの三つの何れかを用いる。 細分化して行けばいくらでも広げられるだろうが細分化は物語を複雑化し管理しなければならない伏線が膨大になっていく。自分ですべての伏線を管理できる小説などではやれるだろうが、不確定な要素が多分に含まれるTRPGでやるべきでは無いだろう。 では…、「深く感じさせるだけの物」とは何だろうか? 自分はこれを物語への共感であると考える。「可哀想」ではなく「自分事」として自己投影できる要素の提供であると考える。 この時点で「感動」を意図的に発生させることの難しさに気付いてもらえていれば自分としては望外の喜びだ。 「自分事としての自己投影」つまり他に考えられる危機や問題よりも優先順位が高いと感じさせる物語の提供だ。 俗っぽい単語を使って一文に集約するなら「世界の危機も、家の事情も、これから先の生活もどうでもいい。俺は君を愛しているのだ!」である。書き手としては…地獄かな? 皆さんはこれをやれるだろうか。自分はムリである。 長々と書いてきたが自分が「感動もの」を書くのであれば必須であると考える要素を書いて行こうと思う。 1つ、価値観を共有するコニュニティー形成(起) 2つ、そのコニュニティーの発展と衰退(承) 3つ、そのコミュニティーへの個別の帰属意識(転) 4つ、そのコミュニティーの存続危機事態の打破(結) コレを一人でこなせないのであれば「感動モノ」への挑戦は“まだやめた方が良い”こなせないなら 起:冒険物 承:内政物 転:家族物 結:英雄物 それぞれに、胸を張って人に見せられる物が書けるようになることから始めよう。それすら拒否し「同情と感動」のみを求めるのであるならばそれはもう「暴力的な統制と思想の強要」反社会性の証左でしかない。
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