愛善院さんの過去のタイムライン

2020年04月

tamanegi0621
tamanegi0621愛善院
2020/04/18 00:19[web全体で公開]
初めまして。
ははあ、イス人に好まれる…
良いこと聞きました。ありがとうございます!
愛善院
愛善院tamanegi0621
2020/04/18 00:15[web全体で公開]
> 日記:隙自語 ボイチャ
 おじゃまつかまつりまする。
 言語思考型かつ音声認識型のかたは独り言が増える傾向があるように思いまする。特に音声認識型は、自分の音声のみならず、他の人の喋っている内容なども(目視認識型に比べて)はるかに理解力に長け、さらに思考に組み込むことができるので、イス人が好む精神を持ちやすいと推測しておりまするw
 横から変なクチを挟みまして失礼つかまつりました。
愛善院
愛善院日記
2020/04/18 00:02[web全体で公開]
🤢 生理的に無理、というか、断続的san値減少
 オフラインのセッションにおいて、貧乏ゆすりをするPLを、皆さまにおかれては、いかに考えるだろうか。
 リアルの精神分析や心理学からいえば「能動的な思考活動への集中による無意識行動」なのだが、一方で、貧乏ゆすりをしなくても、飛び抜けた思考力を発揮したり、抜群の集中力を平然とやってのける人々は少なくないし、また、テーブルゲームのプレイヤーに限っていえば、そちらのほうが多かろうと感じる。
 貧乏ゆすりというのは、本人は集中できる状態を作っているのではあろうけれど、他の人間の集中力はことごとく奪う。まして、貧乏ゆすりというのは、本人が無自覚であるから始末が悪い。罪の意識のない罪を周囲に撒き散らす。
 テーブルに、混沌が這いずりまわる。
 同席する【PLたちが】殺人衝動を起こさずにセッションをこなしていくためには、本人に明確に「汝、自身を知れ」を実践させるか、卓からそのニャルを追放するか、くらいしか手がないようにも思われ、本質的には、卓主としての最も鬱陶しい業務である……。
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鴉山 響一
鴉山 響一愛善院
2020/04/15 22:23[web全体で公開]
コメントありがとうございます。
ええ、私も全く同意します。「RPGは全員が勝利する」ことが可能なゲームであるがゆえに、ですね。
愛善院
愛善院鴉山 響一
2020/04/15 15:43[web全体で公開]
 コメントありがとうございます。
 ゲーム性、言ってみたら「どの程度PLの射幸心をくすぐることができるか」だと考えております。PCたちが挑み、それを成し遂げられれば嬉しく、それを果たせなければ悔しがる。それをやることに一生懸命になる、という舞台装置が、PLにもPCにも合致するように、無造作に大胆に整えるというのでしょうか。
 裏方にまわり、汗をかき、知恵を絞りながら、舞台に活躍する人間たちに信頼を置き、うまくすべてがハマったとき、自己満足をこえてドヤ顔することができるものと信じています。
鴉山 響一
鴉山 響一愛善院
2020/04/15 01:14[web全体で公開]
> 日記:1番最初のTRPGの思い出

はじめまして。
私もそのようなセッションが楽しいと感じ、そうであるように心掛けています。
その一方で、RPGがゲームである以上、そこにゲーム性はあるのかと懐疑的な気持ちになってしまうこともしばしばあります。

参加者全員の合意が得られるのならば、ゲーム性云々と言うことはたいした意味を持たぬのではないかと一応の結論はつけていますけれども。
愛善院
愛善院日記
2020/04/14 21:56[web全体で公開]
😆 1番最初のTRPGの思い出
 作家仲間と、平成の中頃にやったのが初めてだった気がする。mixiの全盛期より少し前か。オンラインセッションといえばそうなるが、顔文字もさほど発達しきっていないころの無料チャットであった。
 システム的にはクトゥルフであったろうが、ほとんど数値やダイスというものを介在させなかった。
 行動が成功するか否かは、その行動がPCのキャラクター性として合致している、GMが納得や感心・感動する、ストーリーとしてメリハリがでる、などの極めて曖昧模糊な基準であり、つむがれた物語は、GMとPLたちが共同で成し遂げた豊かな感覚で満ちあふれていた。
 いまにして思えば、GMがPLたち全員に、主人公の感覚をもたらしながら導いていたことが大きいかもしれず、またPLたちもそれに応えるように、それぞれが主人公として、己の作り出したPCをその物語のなかにきちんと息づかせて存立させたことも小さくはあるまい。
 その機会をのがせば2度と体験することができはしない、最高の一瞬が、今日も明日も、刻まれていくように。そうありたい、そうなりたい。
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