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😶 初めて超長期CPを作っていて思うこと 『骨格ができれば後は流れで』なんてのたまう人もいる。すごい。脳みそを分けてくれ。 フランケンシュタイン博士のごとき人造人間創造の御業を、超長期CPシナリオ作成に例えるとすればだ。 「やべぇ内臓が足りねぇ!よそからパクってこい!!」 「想定より手足が短い!緊急骨延長手術します!!!」 「筋肉のバランスがおかしい!力を入れるところ間違えすぎだろ!!」 ってなるんじゃないか?と思うのだ。 いや現在進行形でそうなっている。 そしていざ完成したとして、「こいつはちゃんと歩いて、仕様書通りに動くのか?」という不安と隣り合わせである。 フランケンシュタイン博士ってすごい。改めてそう思った。 CPを作る上で骨格は重要である。骨格とはつまりテーマである。 「そのキャンペーンでPCは何をして、何がどうなることが目的なのか?」「自分は何が見たくてこのCPを始めるのか?」「参加者たちに何を楽しんでもらいたいのか?」といったことだ。 深淵迂遠な話である。ぼんやりとは定まっていても言語化するのは難しく、どうにか書き出せば陳腐に思えてしまう。 それでもそれが明確であれば、実際に回す”流れ”はちゃんと掴めるはずだ。 ちょうど骨格がその生物を規定するように。 ほんとかー?ほんとにそうなのかー? サイクロプスをご存知だろうか。あれはゾウの頭蓋骨を一つ目の怪物の亡骸と思い込んで生まれた、とされている。 アーケオラプトルをご存知だろうか。私が子供のころの恐竜の図鑑には乗っていたが、今では抹消されている。古代の鳥と恐竜の化石をごちゃ混ぜにしたインチキ標本だったからである。 骨格に肉をつける時、私たちは間違っているとは露も疑わずに飾り立てる。 そうして出来上がったものが真実や理想とは大きくズレていたら、その責は”わたし”が負うべきなのに、こんなはずじゃなかったと嘆いてみせる。 なるほど骨格は生物を規定する。だが、見たこともない生物を骨格から復元するときに、果たして間違わずに組み上げることはできるのだろうか。 テーマを元に書き始めたこのCPが、書き続けるうちにテーマから外れだしたら、”わたし”はそれをどうするべきか。 それに気づかないなら、気づかずにそれが歩き始めたのならまだいい。それが「歩けない」とわかって、骨格そのものが歪んでいたことに気づいてしまったとき、”わたし”はそれをやめる義務があるのではないだろうか。 等と嘯く輩には返事代わりにグーをお見舞いしてやるといい。 やかましい。この世で造花より綺麗な花はないわ。生きてるものはみんな歪つでうまくいかなくてそれでも歩き出してんだろうがよ。 骨格が歪んでんなら魔改造してケンタウロスにでもキメラにでもなればいい。ギガトリプルヘッドフレイムアイスサンダードラゴンに変身してすべてを破壊しつくし、この世の娯楽を独占すればよいだけのこと。単純明快な結論である。 『骨格ができれば後は流れで』、それもまた美しいのだが、それができぬならば盛りまくればいい。 引き算の美学に中指を立て、こちとら昇天ペガサスMIX盛りアブラマシマシ麺固めチョモランマ、生まれた時からどんぶり勘定じゃいの精神で付け足し継ぎ足し接ぎ木のゴッド明地と化すしかないのである。 用意できるものを用意しきってからTRPG的に縁起のいい言葉を添えて募集をかけようと思う、来年あたりに。 書いているうちに呟き→詩的→鬱→躁とテンションが乱降下してしまった。転職して土曜日に仕事がある都合上、やはり疲れた脳みその方が怪文書を書ける気がして満足です。 ダンジョン制作はjjjjj順調です。いやテキスト書いててあまりの終わらなさにクマフェスとエルデンリングに逃げたくなりましたが、ぼちぼちと導入から書き始めてこの後のことを想うと胃が重いです。やはり老いてしまったか……。 まあここまでくるとライフワークみたいなもんですし、ココフォリアの限界と向き合いつつ完成させたいと思います。 『賽は投げられたーー転がる賽が自ずから止まるまで止めることが許されないというのなら、私はせめて叩きつけるように投げるとしよう、全力で』
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