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🤔 常識とは何か なんというか…… 「正論」らしいことを日記に書くと その記事に対して 「イイね」の数が増えることに違和感がある。 極端に嫌悪や忌避を感じるものでもないが そんなにも「正論」に飢えている人々が 多いということなのだろうか。 私の頭の中の私はセイロンティーを好むが。 (しかも、うんざりするほど甘いやつ) こちらとしては 日記なんてものを読んでいただくだけで充分すぎるが ましてや、めちゃくちゃ長文であるのを 読みきってくれるだけでも感激するくらいのものだが いわゆる正論というやつは、 ありとあらゆるベクトルの軸をもった批判だ。 ゆえに、その正論に賛同している人であろうと すでに私の槍は、 その人自身を捕らえている危険性がある。 日本人は、名指しされるまで 「対岸の火事」だと思える神経を持ち合わせる。 いわゆる先端恐怖症でないならば 槍が向けられていても対岸と思えてしまったほうが ストレスフリーではある。 が、 「おまえを狙い打ちした槍に対して イイねを投げてくるってどういうことなの? おまえの行動について論説してるんだけど?」 という事例が、実は多い。 いわゆる「茹でカエルの喩え」であろうか。 さても、日本人は ある種の信仰を奪われてしまったために 「常識」や「科学」を宗教的にしてしまった。 しかも、これらは、儀式的宗教と同じように ごく普通にいたるところで宗教戦争をおこす。 端的に集約すると 「こちらの常識のが優れている!」 と主張しあう、幼稚園児なみのアレ、 という印象で私はとらえている。 (ちなみに「科学」については 本来は信仰であってはいけないもので、 つねに信じるの反対 「疑う(再現性)」が元になる学門であるから そもそも信仰にしてる日本人は、怖い) アインシュタインにいわせると 「常識とは15歳までに集めた偏見のコレクション」 だそうで。 コレクションを見せびらかしあうのは良いとして 相手のコレクションを 自分のコレクションで叩きつぶす とかいう、謎の戦乱を、 人々は飽きもせずくりひろげる。 前回にひきつづき私はこの言葉をだすが 「複数者の間に存在する常識とは 個個人の想定する常識の 【最大公約数】にすぎない」 この最大公約数というやつは便利で 軍隊教育を受けたわけではない人が6人以上になると、 たいがい【1】にしかならない。 さて、その【1】を いかに想定するべきや? いろいろ巡って常識の範囲などを調べると やはり某ティッシュの謳い文句 「やさしく触れていいですか」 が、なかなかに好きだ。 常識と常識の接点というのは ティッシュよりも軽く柔らかでありたいものだ。 さて、ともかく 常識というやつは、 個個人が思惑する「常識」と 複数他者の合意しうる「常識」と 最低限、この2種はあるように思う。 聖書聖典でもあれば この範囲は明確に どこからどこまでが原理主義で どこからどこまでがプロテスタント系で どこからどこまでが民俗習合で と、区別でもつけられようところだが 目の前にいる人間が どの常識に属すのかさっぱりわからない、 というのが、日本である。 ……欧米なら、 複数他者の間にある常識は「キリスト教的な」 で、おおよそ片付くので システム的に少しだけ展開がはやいのだが。 しかも日本人は 「言葉にしなくても」「してくれるはず」 という、 相手からの奉仕活動を容易に期待する 悪しき習慣があるらしいので 個個人の常識が明文化されないことが多い。 TRPGをやる人間は 少なからず「ハウスルール」という概念があるため 自分の常識が いつもいつでも通用するとは限らないことを 少なからず知っているはずではあるが。 個人の常識は、明文化しないならば その個人だけに通用する。 (明文化した場合、 それを合意した中だけで通用する) さても、自分自身に常識を適用させたとき たとえば 「本題に関係ないことはコメントすべきでない」 という常識が私のなかにあるとき、 (これはあくまでも例え話で、 そんな常識をもっているわけではないばかりか 私は基本的に関係ないことをめちゃくちゃ喋ります) 他の誰かが、 本題に関係ないことをコメントしたとき 私の常識から逸脱しているから イラムカするのか? ということになる。 私の頭の中の私は、 私に対して「あなたはそれはやっちゃダメ」 と禁止してくるとしても、 「それを他者にも徹底させる必要がある」 とは、言わない。 たとえば、こういう場合 「関係ないことをコメントしないでもらえます?」 と、私が言い出したら どういうことになるだろうか。 「関係ないことコメントしないで」 ↑これそのものが、 関係ないコメントじゃね? 自分の常識から出れないやつが 自分の常識に泥を塗りたくってまで 相手の常識を粉砕させなくちゃならないとしたら その感情とは、いったいどんなものなのだろう? 私がたどり着いたときは ここに【1】があるかもしれないという予想だった。 ともかく 良い行いとして自分が持っている常識は まず自分が実践してみせて賛否をうかがうものかは。 悪い行いだとして自分が持っている常識は 自分自身にきっちりと禁じて 他者にもそれを理解・合意を得たいならば明文化して それでも合意せざる常識なれば ティッシュのように、 風の向くまま漂うことにしてみようとぞ思いける。
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