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😶 自由と不自由の境界線ーディバイディングラインー クトゥルフ神話TRPG30ページ。イントロダクションの最後にいい言葉がかいてある。 「TRPGとは『社交』そのものである」と。 こういう言葉にTRPGをする前に「触れて」欲しいから、私はTRPGをするのにGMくらいはルルブを所持しておくべきと思う派閥だ。 閑話休題。 TRPG……テーブルトークでゲームをする以上、いかに自由にしたくともやはり他者という別の意志を持った存在に動きを縛られることはある程度否めないというのは結論としてある。 どんなプレイも自由であることが何よりも魅力のゲームなのに「自由にできるとは限らない」というのはなかなか難しい話だろうけれど、結局はそうなのだ。 リプレイ動画なんかであるような笑えるほどひどいオチやプレイングも外野だから笑えるのであって、実際同卓でさほど仲良くもない人がいきなりそんな動きしてきても対応できないし困るってことの方が多いだろう。 ようするに、ルーニーするにもマンチするにもリアルロールプレイするにも全然構わない。が、あまりに頑ななプレイングは結局できないということを各自認識しておくべきだと思う。 我を通したいならマ〇ンクラフトでもやればいいわけだ。マイクラで山をTNTで大爆破して更地にしようがソロプレイなら一向に構わない。だが、TRPG上で完全に一人だけの判断によって何かを崩壊させたりしてはいけない。 それにも例外があって、相当仲が良く気の置けない友人でもいて、「え、シナリオで爆発落ちしたい?いいよ^^」なんて夢のように都合のいい話でもあってのことなら全然かまわないだろう。 自由でありながら不自由。TRPGの限界だ。 マンチやルーニープレイヤーにはつらい話かもしれないが、他の人と相談して可能な範囲で自分の好きに暴れればいいわけだ。本人たちが悪いわけではないとは思いたい所存だが、よく見るルーニーやマンチといったプレイングの問題というのは「自分で勝手に」ということから生まれているのが多い気がする。 何も言わずにやりたいことだけ通したらそりゃ齟齬も生まれよう。 TRPGは社交である。 他者の声を聞き、他者とうまく折り合いをつけないことには始まらない。 それが出来て初めて、社交そのものであるゲームは成り立つのだと思う。 要するに、テーブルトーク、いっぱいしようね♡
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