トマリギさんの日記 「D&Dのアライメントについて」
トマリギ | |
2017/10/19 03:54[web全体で公開] |
レスポンス
COBRA⇒トマリギ | |
2017/10/19 19:29[web全体で公開] |
> 日記:D&Dのアライメントについて コメントされてる方々が温泉で良くお見かけする面子なのが感慨深いです。 CD&Dの場合、ドルイドやエルフは中道主義というより、老子の無為自然みたいなニュートラルもありややこしいですし、明文化より解釈論に任せる事で卓内コンセンサス得てねって丸投げ状態なので、整合性がとれてないルールを真面目に解釈すると疲れるので、その辺は「ざっくり」対応してます。 個人的にニュートラルてのは人道の範疇に収まってるかどうかみたいなざっくりと思います。 嘘も方便、人間だもの。という考えの一方、 子供の殺傷に躊躇が無いって人格はサイコパス的なリミッター解除されてるカオスかローフルイビルと受け取られるのではないでしょうか。 とある罠から地下レベルに仲間が何人か滑り降りてしまった際に「さあどうする!」といった時に、 ケイオティックアライメントPCを持つPLが「みんなの行動に賛同する」と発言したのに対し、 DMが「その行動はニュートラルだよ」って判断したのには成程!と思いました。 変な例えですがカオスはカオスで自分の中に何かしらの行動規範があるのだろうなと。
鴉山 響一⇒トマリギ | |
2017/10/19 12:39[web全体で公開] |
はじめまして。 以下は、私がずっと遊んでいるAD&D1e環境の一例ではありますが……。 (文字数制限の為略号にて記載しています) Nの性格は、極端に走らず、バランスが必要であると考えている性格ですね。 個人も尊重せねばならないけれど、一定の秩序も必要でしょう、と考えているキャラクタです。 GとEの間に挟まれる形のNも然りで、生命と死、美醜に対しての考え方として存在していますし、例えば「嘘も方便」と思っているならばNであろうかと思われます。Gなら「嘘をつくこと自体ダメ」ですし、Eなら「正直者は愚か者との同義」と考えているでしょう。別の方が仰っているように、キリスト教的史観にD&D系統は拠って立っているので、「何事も中庸を持って良しとする」日本人的感覚ではなかなか理解しにくいですよね。 CEの集団では「強いものがリーダー」となりやすく、LEでは「立場を活かして狡猾に立ち回る」ようになります。従って、優れた体力を擁するデーモン族はCEに、インテリが高く智慧やずる賢さで以て支配権を握るのがデヴィル族がLE、といった棲み分けになっていてわかりやすいです。
misa⇒トマリギ | |
2017/10/19 10:23[web全体で公開] |
> 日記:D&Dのアライメントについて 最近自分もちょっと気になったところなので、自分とトマリギさんの頭に、 ルルイエから電波でも来たのかしらん、 思ってしまいましたw 定義としてはD&D3.75版、PF曰くですが…… ttp://prd.qga.me/ultimate-campaign/campaign-systems/alignment.html が参考になるかなと。(先頭h抜き) ですがゲームとして法と混沌については、アメコミっぽく、 「法を破壊したいと思うのでか混沌」「混沌を欄滅したいと思うのが法」 と考える程度でいいかなと。 中立はちょっと特殊で「どっちも必要」「どっちも不必要」「そんなことより野球しようぜ」 のどれもが中立かなーと思っています。(どっちも不自然、というのもあるかなと思います) なので件のクレリックさんに関して言えば、 法を軽んじ、最終的になくなって欲しいとさえ考えているならカオティック。 便利な道具としてでも存在し続けて欲しいのならローフル。 道具として使っているけれど別にそれ以上の興味はないのなら中立、 のどれでもいいかなと。
くっきー⇒トマリギ | |
2017/10/19 09:38[web全体で公開] |
> 日記:D&Dのアライメントについて はじめまして、くっきーと申します。 とある小説の話で申し訳ないのですが、 『善とは他人の為に自分が犠牲になる事』 『悪とは自分の為に他人を犠牲にする事』 『人とは他人の為に他人を犠牲にする事』 って言葉があります。これを踏まえると「中立とは全体の為に自分を犠牲にする事は無く、自分の利益の為に他人を犠牲にする事はない」…この辺に落ち着くのではないでしょうか? お目汚し失礼しました。ではでは。
Mch⇒トマリギ | |
2017/10/19 07:36[web全体で公開] |
> 日記:D&Dのアライメントについて 初めまして D&Dのアライメントについては自分も色々と考えた事があります 結果、思った事は これってキリスト教的価値観に沿って書かれているので 日本人には今ひとつ分かりづらいんじゃないか? と D&Dがキリスト教的価値観に沿っているというのは クレリックが、刃の付いた武器は持てないという事にも現れています ( 教義として 相手に血を流させては、いけない ) 日本人的価値観で考えると 例えば、ギャングにはギャングの中での秩序というものがあり その中にローフルのクレリックが入っていったら 彼は、秩序を乱す者 すなわちカオスに、なるのではないか? と、考えれば考えるほど、よく分からなくなってきます (^^;;;