Keiさんの日記 「GMがいないTRPGについてのお話」

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Kei
Kei日記
2021/12/30 15:00[web全体で公開]
😶 GMがいないTRPGについてのお話
この一年くらいで学んだストーリーゲームについてのわたくしの解釈です。話半分未満のつもりでお読みください。他の資料をご参照ください。また、個人的な事情により、海外システムの話がメインとなりますのでご了承ください。

ご機嫌よう。

いわゆるストーリーゲームについての最終回(のつもり)です。当初はこんなに長々と書くつもりはなかったのですが、ここまでお読みくださった皆さまありがとう存じます。

さて、90年頃からTRPGはGMがいなくてもプレイできると考えられてきたことはこれまでに触れた通りです。GMがいなくても遊べるという議論はその後も細々と続いていました。当初は全員がGMの役割をシーンなどで分けて行うという風に考えられていましたが、最終的に到達したのは、全員にGMの権限と責任を委譲するということでした。

そのためにまず必要だったのは……そう、プレイ中のルール裁定を不要にすることでした。ですが、GMには他の役割もあります。物語を牽引し、ゲームを運営することです。では、残るこれらの役割は、GMがいないとできないのでしょうか? 全員が等しくそうした役割を負えば良いのではないでしょうか? 一方で、適切な質問さえできれば良いという重大な発見もありました。

その意味では、GMなしという言い方は適切ではなく、全員がGMと言った方が正しいかもしれません。

ともあれ、09年になるとフィアスコが登場しました(作者のジェイソン・モーニングスター氏はこれに先立つ07年にもGMなしのタイトル「青灰のスカウト」を発表していました)。フィアスコは三流の小悪党が穴だらけの犯罪計画を立てて失敗し人生から転落するというTRPGですが、それに至る登場人物の人間関係や舞台を最初に全てダイスで決めるという特徴がありました。対してゲーム中に判定は一切なく、必要なのはプレイヤーの同意であって、ルールの裁定というGMの役割は不要となりました。フィアスコにはシナリオネタ帳に相当するプレイセットがありますが、どんな物語になるかは(最後に全員が痛い目に遭うかどうかも含めて)プレイヤー次第で、予測不能です。

10年代後半になると、基本的な物語の進行方針が与えられ、詳細はカードの指示に従って共同体の終わりを描く「ダイアレクト」(こちらもゲーム進行中に判定が一切ありません。どのような物語であってもカードは共通で、それで十分に機能します)や、ルールに記載されている選択肢を選び質問しあうことで王位継承をめぐる争いを描く「我らが王の身罷りて」が登場しました(判定は最小限で、それもトランプの大小という疑問の余地のないものです)。
ダイアレクトにはシナリオネタに相当するバックドロップがありますが、ゲームの開始時に全員でその質問に沿う形で舞台を作成しますし、(最後に自分が属する共同体が滅びる以外)何が起こるか分かりません。我らが王の身罷りては次の王家をめぐる貴族の陰謀や争いを描きますが、必要なことは全てルールに書かれていて、このルールを運用するだけで王位継承をめぐる争いを完全に描くことができます。それでいて、具体的にどんな物語になるのかは毎回想像がつきません。

また、先日ご紹介したPbtAからも、判定に関するルールを排除し、プレイヤー間でルールに記載された質問をしあって他のキャラクターとの関係を深めることで物語が進行する Belonging Outside Belonging というシステムが派生しました。

このように、シンプルなルールやランダマイザで示された指示や状況や質問からプレイヤー自身が物語を駆動する手法が確立されていきました。そこではもはや、GMもシナリオも必要なくなりました。

一方その頃、日本では秘匿ハンドアウトやダブルハンドアウトといった仕組みがいよいよ完成形となったり、銀剣のステラナイツのような「超RP重視システム」が産声を上げ、また、鵺鏡のようなストーリー展開を重視したシステムも独自に生まれていました。これらも、もちろん楽しいものですし、物語の描き方の地平を拓きました。

とまれ。わたくしが初めてTRPGに触れた頃からは想像もできなかった遊び方がどんどん発展していくのに触れるのはとても楽しいことです。普段決まったタイトルしか遊ばない方や、GMやシナリオという概念に慣れ親しんでいる方も、こんなTRPGもあるんだなって興味を感じていただければ幸いです。

このシリーズで触れたゲームたち
クトゥルフ神話TRPG (1981):特定の状況を描くシンプルなルールが物語になることが発明されました。ご存知のとおり、最新版を日本語で読めるだけでなく、日本国内で最もプレイ人口の多いゲームとなりました。
Pendragon (1985):PCの感情を物語に反映することが発明され、その後のライフパスにつながりました。順調に版上されていて、最新版は公式サイトから購入可能です。日本語訳はされていません。ごく近い将来に改版されるという噂があります。
Prince Variant -- the Storytelling Game (1989):GMを他のプレイヤーに任せる発明がされました。絶版ですし日本語訳されていません。eBayなどでデッドストックまたは中古を見つけることができますが、今更入手する価値はないかと存じます。
Beyond Roads to Lord (1989) / Far Roads to Lord (1993):複数GMやGMなしの提案がされました。遊演体から発売されていましたが、絶版です。特にFarには大変なプレミアがついてしまっているようです。
World of Darkness (1991):ステータスの描写と物語性の関係が完成形となりました。シリーズの一部はアトリエサードから日本語訳されていました。後継のChronicles of Darkness シリーズは新紀元社からごく一部のみ発売されましたが、共に絶版です。WoD シリーズはその後版上げされ、最新版は公式サイトから購入可能です。当然日本語訳はされていません。
Fudge (1992):どのようにプレイヤーに物語を語らせたらうまくいくか発明されました。公式サイトからダウンロードできます。日本語訳はありません。
FATE (2003):Fudge で発明された方向性が完成形となりました。公式サイトからダウンロードできます。日本語訳はありません。
Powered by the Apocalypse:これに先立つ Apocalypse World で、適切な質問が物語を駆動し、その質問はルールで決めることができることが発明されました。これを利用して様々なテーマと質問の組が発表されて百花繚乱の様相となりました。シナリオは不要になりました。ルールの裁定についてよく議論の元となる難易度設定も不要になりました。DrivethruRPGでさまざまなPbtAタイトルを購入できます。日本語訳されているものはありませんが、近日中にPbtAタイトルの一つ、Dungeon World 日本語版が発売予定という噂があります。インディーズということもあって、ジェンダーや戦争など通常のTRPGでは深く踏み込みにくいテーマを題材にしたタイトルも多いことも特徴です。
Belonging Outside Belonging:PbtAで発明された質問と答えで物語を駆動する方法がさらに押し進められ、判定もGMも不要になりました。DrivethruRPGやItchでさまざまなBOBタイトルを購入できます。公式に日本語訳されているものはありませんが、BOBタイトルの一つ、Wanderhome は有志による非公式日本語版プレイキット(公式許可済み)が無償公開されています。PbtAと同様に、ジェンダーなどに踏み込んだタイトルなどがあります。
フィアスコ (2009)、青灰のスカウト (2007)、ダイアレクト (2017)、我らが王の身罷りて (2018) では、GMやシナリオや判定を不要にするさまざまなアイディアを現実のものとしています。それぞれ日本語版が発売されています。
Wonder Roads to Lord (2010):全てを言葉で描き解決するという一つの方向性が示され、GMもシナリオもないプレイの方法が提案されました。エンターブレインから発売されましたが、現在は絶版のようです。
鵺鏡 (2016)、銀剣のステラナイツ (2018) については触れ直すまでもないでしょう。

最後に、このシリーズで取り上げにくかったタイトルに触れておきましょう。Paranoia です。Paranoia とナラティブとの関係はわたくしには掴みかねるところがございましたが……

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……楽しませている間は生き残ることができるというルールなど、実はこっそり影響を与えたのではないかと感じていますし、最新版のリブーテッドではGMは判定しないというルールが導入されていたり、よりナラティブを感じさせる気もしております。識者の方による解説などお待ちしています。また、Traveller など一部の旧来のタイトルは、ストーリーゲームの手法を積極的に取り入れた方が上手くいくのではないかという印象を受けております。
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レスポンス

聖岳生馬
聖岳生馬Kei
2021/12/30 15:36[web全体で公開]
> 日記:GMがいないTRPGについてのお話

素晴らしい話をありがとうございます。
長い(俯瞰)視点で振り返るのは物事(歴史)にとって大事ですね。

思い出しますのはRPGの日本語紹介と展開に影響がありました多摩豊さんの文章でしょうか。
当時は第2世代RPGとか第3世代RPGと言葉を振られていましたが。
思えば遠くに来たもんだ。

(本文とは関係無い感傷)
「日本語訳はありません」とか「絶版です」の多さよ。
多くの先祖の活動の上に、現在のTRPG作品は立っておるんですなぁ。

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