290さんの日記 「モンタージュの供養 (注 なんの纏りもない駄文です)」

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290日記
2021/03/24 00:49[web全体で公開]
😢 モンタージュの供養 (注 なんの纏りもない駄文です)
皆様こんばんは、初めましてもお久しぶりもどうもどうも
290で御座います。

この間庭師を回しまして、その際
感染自罪のモンタージュを回したくなったのですが
公開が終わっており、
もう回す事が出来なくなってしまいました、、、。

この心の虚しさを取り除く為、
モンタージュのシナリオを読んで書いた
シナリオの備考欄を載せて供養したいと思います。

またあのシナリオを回せる日が来る事を切に願って、、、。



「正義」とは何か 、 「悪」とは何か


何時の時代も問われて来たテーマだ。


人は誰しも常時は 「善」 であり、

型に嵌めた様な、産まれつきの「悪人」など居ない。

ある時、急に 「悪」  となるのだ。


誰かが言った。

「だからこそ、人とは怖いモノなのです。」と



では、「悪」とは何か。

それは「善」に対極する物という人も居るだろう。


しかし、物事の善悪の判断と言うものは千差万別で有り、
時代と、その時の立場、主観によって変わる
大変曖昧なものである。


そう考えると、善悪の判断という物は

自分から見て正しいと感じた事を「善」とし、
自らが見て異端で有ると感じた事を「悪」とする物
としか言えないのだろう。


必ずしも明確に定義出来る様な物では無いのだ。



では、

「善」から「悪」に変わるきっかけとは何なのだろうか?

それは、 「好奇心」 だ。

好奇心とは誰にも生じる物であり、
『知識/情報』を得て産まれ、
それは時に人の倫理観を蝕む。

好奇心に蝕まれた倫理観は人に満たされぬ欲望を産み、
それはゆっくりと時間をかけて増長し、狂気を産み出す。


そして狂気はふとしたきっかけで人の倫理観を書き換える。
己の欲望を、憧れを満たす為に。


そして自らの欲望を叶える事こそ、「正義」と考える様になるのだ。

それが他者から見て「悪」と判断されたとしても。


狂気は居るのだ。誰の心の中にも。
勿論、貴方達の中にも既にいて、
それは今か今かと倫理観が書き変わる瞬間を待っている。


常々気をつける事だ
善人が悪人となるのは紙一重なのだから。
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