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😢 モンタージュの供養 (注 なんの纏りもない駄文です) 皆様こんばんは、初めましてもお久しぶりもどうもどうも 290で御座います。 この間庭師を回しまして、その際 感染自罪のモンタージュを回したくなったのですが 公開が終わっており、 もう回す事が出来なくなってしまいました、、、。 この心の虚しさを取り除く為、 モンタージュのシナリオを読んで書いた シナリオの備考欄を載せて供養したいと思います。 またあのシナリオを回せる日が来る事を切に願って、、、。 「正義」とは何か 、 「悪」とは何か 何時の時代も問われて来たテーマだ。 人は誰しも常時は 「善」 であり、 型に嵌めた様な、産まれつきの「悪人」など居ない。 ある時、急に 「悪」 となるのだ。 誰かが言った。 「だからこそ、人とは怖いモノなのです。」と では、「悪」とは何か。 それは「善」に対極する物という人も居るだろう。 しかし、物事の善悪の判断と言うものは千差万別で有り、 時代と、その時の立場、主観によって変わる 大変曖昧なものである。 そう考えると、善悪の判断という物は 自分から見て正しいと感じた事を「善」とし、 自らが見て異端で有ると感じた事を「悪」とする物 としか言えないのだろう。 必ずしも明確に定義出来る様な物では無いのだ。 では、 「善」から「悪」に変わるきっかけとは何なのだろうか? それは、 「好奇心」 だ。 好奇心とは誰にも生じる物であり、 『知識/情報』を得て産まれ、 それは時に人の倫理観を蝕む。 好奇心に蝕まれた倫理観は人に満たされぬ欲望を産み、 それはゆっくりと時間をかけて増長し、狂気を産み出す。 そして狂気はふとしたきっかけで人の倫理観を書き換える。 己の欲望を、憧れを満たす為に。 そして自らの欲望を叶える事こそ、「正義」と考える様になるのだ。 それが他者から見て「悪」と判断されたとしても。 狂気は居るのだ。誰の心の中にも。 勿論、貴方達の中にも既にいて、 それは今か今かと倫理観が書き変わる瞬間を待っている。 常々気をつける事だ 善人が悪人となるのは紙一重なのだから。
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