温森おかゆ(まんじゅう)さんの日記

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温森おかゆ(まんじゅう)
温森おかゆ(まんじゅう)日記
2022/08/27 06:55[web全体で公開]
😶 GMの心構え
GMになるために必要なモノといえば、ルールブック、シナリオ、楽しもうという気持ち、後はちょっとの責任感とスケジュール調整力にコミュ力に人を誘う勇気と希望と夢と体力……。
大体必要なものと言えば、誰もが予想がつくようなものだろう。
そこから先はいささか精神論的な話になっていくし、たぶんGMをやってみたいが一歩が出ないという人は、大体モノというよりその字面からあふれ出る言い知れぬ「堅苦しさ」を不安に思うのではないかと思う。
で、GMをするのにどんな心構えが必要かというと。

正直言おう。
分からない。

当方、クトゥルフ神話TRPG(以下CoC)でゲームキーパーの方を多くやっている。
そのうえで、こういう人と人が関わり合って進めるゲームの難しいところだとか、シナリオの楽しみ方だとか、色々と悩まされてきた。
さほど場数を踏みまくった自信もないし、故に今までの日記通り「分からない」から結論を出していくしかないわけなのであるが、それにもちゃんと私なりの理由はあるのだ。
「そこらへんは人それぞれも多分に含みます」と言ったところである。
以下の文章を全部ひっくるめて一言で纏めると、私の言いたいことと言えば「案ずるより産むが易し」である。

1.GMの個性の部分
まず、GMと一言に行っても、やるべきことは大体同じだが、どうしても末端のところでやり方は違ってくるものだ。
CoCなんて特にそれが顕著に表れてくるので分かりやすいだろう。
多少厳しめの采配、甘めの采配、どんなに似せても脳みそが別である限り、嗜好が多少離れる限り、それは人それぞれで、難しいところなのだ。
だがそれがあるからこそ、ストーリーテラーが違うからこそ、同じシナリオでも結末が大きく違ったり、味が大きく違ったりするのがTRPGの面白いところでもあり、魅力である。
要するに、その辺りはたぶん、よほどトラブルにつながりやすくなっちゃうような危険な采配でない限りは、GMの「個性」としてPL達に好意的に受け取られることだろう。自分のいいところになりそうな個性はのびのび伸ばせば大丈夫だと思う。

2.PLとの関係
PLとどのような関係を築いていくのか。GMとしてどのような姿勢で関わっていくのか。そのバランスは、時にただただ友好的で何でもありのイエスマンではいられないこともある。
GMは裁定者であり管理者のような役目も負うことにもなるので、GMをしたいがそのあたりが怖いなんてこともあるかもしれない。
これに関しては答えは実に簡単だと思う。
GMはゲームの裁定者なのだから、常に公正公平で、その為なら時には厳しさも持ち合わせる必要はある。
たとえばちょっと困ったちゃんなPLには多少覚悟を持っていさめなければならない時もある。
どうしてもこのままでは正常なゲームにならないと思った時には、ストップをかけたり、時にはやむを得ない理由でセッションを完結まで運ばず終わるといった決断もするときが来るかもしれない。
それ全て、GMができることであり、場合によってはGMにしかできないことなのだ。

そういう多少のふんばりは時に要求されてしまうのがGMだが、ひとまずそういう時、あなたは間違っていないのだ。
PLがそれほどでもないんじゃないかと思うような問題でも、GMが問題と思えばそれは十分に問題だ。
GMはゲームの進行を判断する立場にあるがゆえに、ルールを持っているのは原則GMである。
これはPL側もしっかりと認識したうえでGMが問題視するようなことをしないように気を付けていればいい話なのだから、あとは普通にPLの良識に任せるしかないし、良識がないのであれば多少の遠慮は投げ捨てていい。
まあGMの我慢が限界に達するような例なんて実際のところ相対的にはあまりない。大体の問題は「その場」で片付くものがほとんどなので安心してほしい。

3.勇気
GMやってみようと腰を上げる勇気、人を誘う勇気、自分の采配を人に伝える勇気……エトセトラ。
相手は予測がつかない生き物のような心を持った生き物である以上、怖いのは仕方がない。
だが、勇気が出ないことは仕方ないが、少なくともTRPGのオンゲしに集まっているような人たちなら、思ったほど神経質ではない。むしろそんじょそこらの人よりよほどフットワークがフェザー級なのが多いと思われるので安心していい。

因みに、別の勇気として「失敗を恐れない勇気」も重要だろう。
誰もが一度はミスをする。何かを初めて経験する時に失敗は避けられない。それで他者を不快にさせるのではないかと恐れを抱くのは、当然のことである。
だが、はっきり言って初GMで大成功を収めるなんてのはよっぽど粉骨砕身しても「まぐれ」である。なんにせよ、何らかの失敗やミスはあるものだと思っておいた方が精神衛生上いい。
何度かGMを経験した人間ですら初歩的なミスや失敗をしがちなのだから、その辺りに関してはある程度GMもPLも心に余裕を持っておくのがいい。

4.面倒くささ
はっきり言ってGMの作業量と重圧はPLのそれとは段違いだ。それは「PLとの関係」の項目でも述べたとおりである。
ゆえに、GMをする以上は常にその作業量の「面倒」と向き合わざるを得ない。
これに関しても諦めと覚悟は寛容になっていくが、それを超えてプレイヤーたちと協力してセッションを完了したときの達成感は代えがたいものがある。向き不向きは別にして、一度体験してみるのもまた一興なのではないか。

5.柔軟さ
固くなり過ぎないこと。実はこれは結構、必要なことだ。
独り善がりになりすぎないことだ。
どういった場面でも、心に余裕を、頭に柔軟さを持つことは案外難しい。これは私も最近になって(PLをする回数が増えたことで)気づいたのだが、そのためにはやはりPL側としての経験は重要だと思う。
PLとして他のGMのやり方を観察することでしか見えないことはある。
一人だけがGMをやっていると、どうしても柔軟性に欠けてきてしまう。新鮮な刺激が外から来ないから、やり方がどうしても「堅く」なってしまうのである。勿論それも悪いことではない。安定して確立された個性というのも安心感があるもので。
だが、その場合でも、「こうしたほうがいいな」という改善への気付きは圧倒的に少ない。
GMを担当するようになった時にも、自分の「PL経験」は大事にして損はない。今までも、これからも。

6.楽しむためには
楽しむためには何が必要だろうか。
和気藹々とした雰囲気を作ることも必要だが、オンラインセッションの野良卓でそれを求めるのは無理があると思っていていい。初対面でテンション上げろって方がたぶん無理だ。誰もかれも大体比較的無口になるし、身構えるのは当然だ。
その時、GMが無理をする必要は特にない。その辺りで何が必要かというと、GMもPLもみんなひっくるめて手を取り合う姿勢を示すことがまず一番大事だ。
GMは誰かが自主的にでも外因的なものでも孤立しないように最低限気を配る必要があるし、それはPLも全く同じ。
「独り善がり」はGMにしてもPLにしてもいい結果にはつながらない。
GMとしてはまぁ、「仲良くしてくださいね」と一言言っておくといいかもしれない。


長々と喋ってしまって余計にGM候補生の足を遠のかせてしまったような気はするが、誰かの背中を押せるようなことが言えていることを願う。
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温森おかゆ(まんじゅう)
温森おかゆ(まんじゅう)日記
2022/08/22 19:21[web全体で公開]
😶 礼儀の基本
私が好きな言葉にこのようなものがある。
「人にして仁ならずんば、礼をいかんせん。人にして仁ならずんば、楽をいかんせん」
端的に訳すと、
「人として思いやりのないようでは、礼儀がどうこう言っても意味がない。
人としての情愛がなければ、音楽の良しあしがどうこう言っても始まらない」という意味だ。
マナーも礼儀作法の一つであるからして、この言葉は非常に含蓄のあるもので、現代において形骸化しつつある礼儀の在り方に対する紀元前400年前からの金言といってよいと思う。

人としての礼儀なんてものは必ず必要になってくるものであるが、その礼儀が「何のためにこそあるものなのか」を知っておかなければいくらマナーやら作法に詳しくとも、中身のないものになり果てるということだ。
上記の言葉を残したさる賢人は、礼儀そのもののありようよりも、そこに関わる人の思いやりこそ重要だと説いたのである。

人は諍いや問題をある程度嫌がる性質で、だからこそマナーやルールを整備するわけだけれども、そのマナーだのルールだの言ったって実は完全ではない。人が「個」である限り完璧に同じ答えはないのだ。
ルールブック所持問題とか、シナリオ展開に非協力的なプレイヤーに対する対応とか。同じ問題に対して意見が割れることは大して珍しくない。オンセンの投票なんかに行くとそれが分かりやすい。
違う意見が存在することは何も悪いことじゃない。それなりの根拠があるのだろうし。なかったらちょっとフォローしきれない。

「じゃあ何を信じればいいんだよ」という話になるだろう。
勿論マナーやルールが無意味ではない。具体的なタブーが分かっていれば避けられる事態は沢山ある。
要は基礎の基礎だ。マナーだのルールだのは何を持って守るかという話だ。
それは大抵、相手に対する尊重や思いやりである。
というか、こうされたら相手は嫌だろうなと控えられる人間は大した問題など起こさない。それが理解出来る人は幸いだ、きっと愛されることだろう。
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温森おかゆ(まんじゅう)
温森おかゆ(まんじゅう)日記
2022/06/12 12:20[web全体で公開]
😶 TRPGは対話である
今のところ、クトゥルフ神話TRPGしか持っていないから、クトゥルフ神話TRPGからの引用ばかりではあるが、これのイントロダクションにいい言葉が書いてある。
「TRPGは社交そのものである」。
※「社交」とは…社会生活を営むために必要な、人と人とのつきあい(国語辞典より)
私はこの、「TRPGは社交そのものである」という言葉を何人も念頭に置いてTRPGをプレイするといいと思っている。

とはいっても、人によってはTRPGはイコール社交イコール人付き合いと言われてもそんなもん分かるか、と言ったところだろうか。何せ分かるわけが無いのだ、「人付き合い」が何たるかなど、はっきり分かってしっかりできる人間もなかなかいない。
人が何を感じ、何を思い、何を考え、どういった反応を返すか。それは誰にも分からない。だからこそ人付き合いというのは非常に難しい。個として全く別の人間が、互いにぶつかり合わない程度に付き合うなど、よく考えたら至難の業だ。それを私たちは日常的に紙一重で避けてどうにか過ごしているという状況なのだから、まったく素晴らしい。
それはともかくとして、そういう難しい技の上に成り立つのが「TRPG」なのだから、いつまでもあらゆる問題が起きては議論され尽くしているのは当然とも言える。
人付き合いなんて人類の永遠の課題のようなものだ。いくら正解があろうと、正解を的確にとっていける人間はあまりにも少ない。

ではその「TRPGそのもの」とすら言われるほど重要なのに、すこぶる難しい「社交」とは具体的に何をすればいいのかの話に移るが、私が今のところ思うに、「対話」である。
TRPGにおける問題。それを考える時に、私はまずそこに「対話」をテーマに置く。そうすると、不思議と大抵の場合、問題ははっきりしてくるのだ。
ひとまず大まかに「会話」と言ってもいいところを、ここではあえて「対話」とする。ここでの2つの言葉の意味は、とても重要な事だからだ。
「会話」とは、2人または数人の人が話をすること。
「対話」とは、向かい合って『対等の立場で』話をすること。
人付き合いはまず何にしても、「話す」ことから始まる。
顔をつき合わせているだけでは付き合いとは到底呼べないし、人付き合いと言える事柄には必ず「会話」がついてくる。
それでもって当然だが、その会話が上手くいかない場合、人付き合いには問題が起こる。

ここで諸氏に一度ご一考頂きたいが、これまでにTRPGの場面で起こった問題。
「対話」はそこにあっただろうか?
その対話に何か問題はなかっただろうか?
例えばそこに、円滑な「対話」が置かれればその問題は起こり得たか?
例えば、プレイヤーの独断による問題行為。
例えば、ゲームマスターによるシナリオの「吟遊」化。理不尽な判定。
個による全員への、全員による個への「尊重」があった上で、尚且つ円滑な会話が置かれたなら、その問題はそもそも起こっただろうか。
それでも問題が起こってしまうことも、まぁ無くはないのかもしれない。
だが今まで出会ってきた問題で、互いがどちらも対等に会話出来たなら、もしかすれば避けられたのかもしれない問題も多かったと思うのだ。
「対話」とは、会話に加えて互いが対等な立場に立って話をすることだ。
TRPGにしてそれが意味することは、GM、PL、そのふたつの立場を丸ごとひっくるめてTRPGの「いちプレイヤーとして」扱う、という意味と同義である。
それが欠けると必ずセッションには問題が起こる。誰かが嫌な思いをし、誰かが何らかの被害を被るのである。

具体的にどういうことか、ここに例を置く。

PL1:それでは、PC1はPC2に対していきなり後ろからグーで殴ります。
PL2:えっ。
PL1:判定成功。奇襲で回避できませんよね?ダメージ出します
KP:えっ。

正直こんなことがあると思いたくはない訳だが、残念なことに、似たような事例はいくつか確認されている。
一体これのどこが問題なのかと言うと、PL1の判断と行動にゲームキーパーとPL2が大いに困惑してしまっているということである。
さらに厳密に言うと、PL1は独断での宣言、ならびにKPを通さないダイス判定をしている。ここが問題だ。
それにより拒否する間もなく被害を被ったPL2と、止める間もなかったKPは大いに困ってしまったわけである。

ではその具体例に、「対話」を置いてみることにする。

PL1:PC1は乱暴なキャラクターなので、PC2に対していきなり後ろからグーで殴りたいんですが。
PL2:いや。嫌ですね。やめてください。
KP:許可できません。却下します。
PL1:うーん。じゃあ、「今はやめておくか」と思い断念します

これもだいぶ無理があるというか、一言目の発言の時点でいささか赤信号だとは思うが、前の例に比べて大きな問題は起きていない。
一応、PL1は他者に意見を求める余地を残し、ことが起きる前にその意見をしっかりと聞き入れたからである。
要するに、自分一人で決める前に、他者に「聞いた」のである。
確かに、PL1にとってPC1は自分の動かすキャラクターであり、他の誰のものでもない。現実なら人を殴る前に「殴りたいので殴っていいですか」など、わざわざ聞かない。
だが、これはゲームだ。しかも、全員が参加し、それぞれ尊重されるべき個々のキャラクターを持っていたり役割を持っている。
データ上だけでのやり取りとはいえ、その向こうには必ず「個人」がいる。それが、TRPGなのだ。
PVPや対立型と呼ばれるシステムならいざ知らず、協力型のTRPGで独断専行を行うと他者を巻き込んでしまう。
個人のプレイ方針はともあれ、そこに「対話」と「尊重」を置くだけでこれだけ違う。
これが、「社交」だ。これが、TRPGだ。私は最近こう思えてならない。
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温森おかゆ(まんじゅう)
温森おかゆ(まんじゅう)日記
2022/06/09 22:00[web全体で公開]
😶 何もGMが全て受け入れる必要は無い
GM。TRPGにおいて必須と言えるセッションという名の舞台の監督。裁定者。ストーリーテラー。
役割が多く責任も多く、時によっては孤立し悩む立場にある、悲しくも楽しい役目。
GMたちは多種多様なプレイヤー達が集まる場で、自分を含めた全員が楽しいゲームとなるように導くのだが……GMだって一人の人間だ。
人によってはどうにも反りが合わない相手もいるし、プレイヤーによってはどうしても対応しきれないこともあるだろう。
「GMだって一緒にゲームする人を選んで良い」というのが私の結論だ。
正直、当たり前と言えば当たり前なのだが。

まぁこれは誰が悪いわけでもなくただ嗜好の違いとも言える、として今回は話す。マナーだの常識だのまでこの話で引っ張り出すとまた長くなるので。
大雑把にマナーだの常識だの絡めるなら、PLの方もGMのゲーム管理に任せて好き勝手暴れるのではなく、セッションに参加する全員に「協力」するスタンスで自分のスタイルを半ば調整した方がいいという話になる。

だが、PLのルーニーやリアルマンやマンチキンやリアルロールプレイヤーといったプレイの趣味嗜好は、度が過ぎれば問題に発展するものの、そこまででない程度であれば、言ってしまえば個人の嗜好に過ぎない。
それを頭ごなしに否定してあれするなこれするなと個人に向けて言うつもりは私には無い。だいたいそれだって一応立派なプレイ嗜好ではあるのだから、個人の意思で頭ごなしに唾棄するのも違うとは思う。

が。GMも個人だ。個人特有の「好み」くらいある。
みんな無茶苦茶してふざけて笑いあうのがいい!といったGMも、心に響くような美しいロールプレイが見たい!といったGMも、その嗜好はまた様々であると言える。つまりそのGMが「どんなPLに出会いたいか」だ。
オンセのセッションを見ていると、シナリオからそういった嗜好がなんとなく汲み取れるものの、やはり「どういった傾向のキーパリングをするか、どう言った傾向のプレイを好むか」というのは曖昧なように感じる。人がいないからフィルターかけたら遊ぶ所でないのでは?と言えばもちろんそうなんだけど。
GMであるからには、いざどのようなPLが来ても対応する必要はあるが、セッションの中で浮いてしまう人に困惑するGMやPLを発生させないようにする予防線は張っても構わないだろう。
合わないPLに対して合わせられないのはKPの甘さだろという意見に関しては、「こんなゲームにマジになっちゃってどうするの」と返させて頂く。何人も遊んでるわけであって接客サービス業してんちゃうんやぞ。

GMもそういった自分の嗜好を書いても全く構わないし、そうすることで合わない人と衝突することもまた避けられるのではないか、セッションに参加する人がある程度制限されるぶん、負担も少なくセッションを守れるのではないかと思った次第だ。
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温森おかゆ(まんじゅう)
温森おかゆ(まんじゅう)日記
2022/06/08 20:37[web全体で公開]
😶 Not for me
海の向こうにはこんな言葉がある。
「It’s not for me」意訳すると「残念ですが私には向きません」だ。
人には向き不向きがあるのは当然であるから、「いい作品なのかもしれないけど、ちょっと私には向かないみたいだよ」みたいな意味合いで使われることが多いようだ。
で、なんでこんな言葉を出すかというと、「好きと嫌いにも尊重はあるよ」ということを言いたいのである。
私にも好きな作品はあって、その作品をけなされると悲しいことはある。だが「not for me(向きでない)」という言葉を知ってからは多少それがなくなった。
「ああ、あなた向きでなかったんだね」という感じだ。なんだったらその人が言っている好きな作品の悪いところを聞いて自分もそれを知っているなら、眉をひそめてそっと頷くときもある。
作品のいいところを味わうよりも、悪いところにストレスを感じてしまったのだろう。私もそう言うことがないとは言えない。
好きなものに対して妄信しすぎても嫌いなものを全否定しても災いを呼ぶ。かといえ大抵の人間というものは私も含めだいたい「主語デカめ」「誇張デカめ」で好きでも嫌いでもない話でも「言いすぎだろ」みたいなことはよくある。
好きなものは完璧だし嫌いなものは嫌い、といった気持の方が正直生きやすいが。好き嫌い程度で怒らなくて済むようになったとしても、今度は自分が相手の好き嫌いをどれだけ理解しようと相手は平気でこっちの好きなものをこき下ろして来る理不尽にいらいらしなければならなかったりするので。
閑話休題。

ややこしい話になるがこれは口酸っぱく言わないといけないので何度でも言う。
「自分には向いていない」は「存在すべきでない」ではない。つまり、好きか嫌いかで争う必要は本来ない。
そういう感覚は結構忘れがちで、だから私もいつも偏っている自分の立場を中間あたりに置いてどっちつかずな意見をわざわざ長々と言いながら、一言で終わる結論を説明していたりするわけだが、それはともかくとして。

好きなものは好きでいい。嫌いなものは嫌いでいい。
大事なのは、誰の好きも嫌いも、最低限は尊重されるべきだということだ。

ファンになるのはいいが、狂信者になるのはいけないという意味である。
嫌いになるのはいいが、モンスタークレーマーになるのはいけないという意味である。
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温森おかゆ(まんじゅう)
温森おかゆ(まんじゅう)日記
2022/06/06 19:28[web全体で公開]
😶 CoCのキメラ化はあまり問題ではないという話
と、いうより、なってしまったものはどうあがいても消えないし変化しないから問題視する意味がない。角が立つだけだ。
結論を言うと「○○をするな」などと今更出来てしまっていることに関して無理を強いたところで無意味な上、いくらボヤいても互いの溝が深まるばかりなので、互いに不可侵領域を決めて完全なる棲み分けをするしか方法はないのである。
現状の問題は、その「棲み分け」「区別」が曖昧で気を付けないと事故が多発していることにあると思う。
これに関しては原作好きとライトプレイヤーとの違いに関しても言えるし、ルーニーだのリアルプレーヤーだののプレイ指向に関してもそうだ。
お互いに理解し合えない存在が、ある時野良なんかで出逢って事故を起こしてトラブって。問題の原因は傾向ではなく互いの領域が交わってしまうことにあると思う。
こういったことで二分してしまったものは、もういくら弄ろうが変わったり歩み寄れることはない。
ただ、どちらを批判してもいいという話ではないのは確かだ。

昨今、遊ぶ人間の母数が多く、その分秘匿HO、SAN回復シナリオ等昔から様々な形式の遊び方が増えているCoC。
個人的なことを言うと、私も逃げゲー世代ではないにせよゆっくりジャズエイジとかそういう頃の世代の立場なので、そういった別のゲームのシステムが混じったシナリオは慣れる気がしないし、あまり好きでもないし、今のところ関わるつもりもない。逆に逃げゲーも然り。
が、こういう世代を言うと昔から「今の主流は~」なんて言われてきたから、正直こういう話題に関しては今の主流が悪いとは思っていない。正直最近のシナリオって秘匿HO多いよねなんてちょっとボヤいたこともあるけれど、ボヤいたところで気持ちはスッキリしなかったし何も解決しなかった。いくらボヤいても以前までのシナリオ傾向が戻ってくることはないということだけはっきりした。

というか、CoCというゲームの形式の変遷というものはなにも最近の話ではなく、大なり小なり初期の完全逃げゲー世代から着々と変化してきたようなものなので、最近の多様性はキメラ化とは言うが、もう単純な「変化」とか「流れ」とかそんな感じの印象だ。今の世代の「流行り」や「嗜好」に合わせたゲームが出来ているだけと思ってしまった方が簡単だ。
それをいくら語彙をこねくり回して説明したところで、何も解決しないのだ。そんなことを「CoCはこんなゲームだからそんなのに魔改造パッチあててなんたら~」って長ったらしく説明したって、耳障りに聞こえない方法を私は知らない。なので「ついて行けないだけです」としか言えることがない。
かと言え今までのものが壊されたわけじゃない。クラシックタイプのシナリオもまだまだ残っている。し、忘れるなかれ、CoCなんていくらでも好ましい雰囲気のシナリオが自分で作れるのだ。
昔から一緒に遊んでいた仲間が新しい流れに奪われてしまったとか、気に入っていた古巣にそれが混じってしまって居心地が悪いとか、そういう疎ましい問題は悲しいが、それを言ったところで好みの問題は何も解決しないのだから互いに話し合って譲歩するなり、我慢するなりするしかない。陰で文句言ったってボヤいたってそれがなくなるわけじゃない。

どちらが悪いわけでもないのは確かなのだから、互いを批判してもどちらかが侵入しても、大体ロクなことにはならない。
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温森おかゆ(まんじゅう)
温森おかゆ(まんじゅう)日記
2022/06/05 11:44[web全体で公開]
😶 予定とセッションの兼ね合い
結論から入るが、慣れないうちというか、初心を大事にする気持ちがあるのなら、卓の予定が入っている週や月にはあまり他の卓の予定を入れない方が良いということだ。

世には「卓修羅」と呼ばれる、あるいは自称する人間がいる。字面はかっこいい。
掲示板では当たり前のように存在し、闊歩しているが、ことそのほかのブロガーやこういった場では少し微妙な反応をされがちだ。まぁ、理由は分からないが認識の違いってやつなのだろう。
TRPGの「卓修羅」がかっこいいと思っている人の認識の原因としては、某SNSやVtuberなんかが怪しいと思っている。というのも分布が大体その辺りで、「卓修羅」とネットで調べたら某卓修羅Vtuberのブログが一番上に出てきたからだ。
まぁ何が言いたいかというと、一方ではカッコイイTRPGプロプレイヤーの代名詞のようであるが一方では迷惑プレイヤーの代名詞というだけのことであって、「体力的な余裕も持って予定が守れるなら」そう名乗ったとして何も悪いことではないと思う。言葉が悪いわけではない、それに対する認識が二分しているだけだ。
沢山の予定が入ったとしてそれをすべて綺麗にいなせる人は(まぁ思うとおりに行かないことが多いと思うけれど)、英雄並みにかっこいいだろう。

嫌われる理由としては、本人に時間の余裕がないからこちらが当人に合わせないといけないことや、その人が提示した数少ない日に卓を予定したら、それがなんと本人によってつぶされ、全員が楽しみにしていたセッション延期、あるいは流卓の憂き目にあうなど、様々な極端な話があるから、人によっては「無害」な卓修羅相手でも身構えたり嫌な顔をすることがある。

まぁセッションを楽しみたい人間の集まりなのだから、卓修羅のセッションを一杯楽しみたいって純粋な気持ちだけは分からんでもない人の方が多いと思われるが、それでもその名前を名乗っただけでここでは嫌な顔をされてしまうのは、もう仕方のないことと思った方が良いだろう──と、思っている。
ここにはたくさんの人とつながって楽しい卓を囲みたい「当事者」が集まっているわけで、その当事者にも様々な人がいる。無害な人、有益な人、有害な人。いわゆる卓修羅から被害をこうむって非常にそう言うことにとげとげしくなるのは仕方がない。

忙しいことは何も悪いことではないし充実しているならなお結構。だがセッションを楽しみに待っているのはなにも一人だけではない。わざわざここに集まって名乗りを上げて参加までしているのだから全員がそうなのだ。そしてその全員にもちゃんと予定がある。その人たちにも刻々と変化していく都合があるのだから、合わせてもらえる前提で予定を組んだり、余裕のない予定を組むのは得策でないと言える。
折角立てた予定が卓修羅によってずれたりなんかした日には、もう次の予定が決まるかも不安になってしまうし、まるで楽しい遠足をお預けされたような気持にもなる。卓修羅という言葉そのものが悪いわけではないとは思うが、セッションを守り切れると約束できる自信をもってやってるんだろうな?と疑いの目で見られてしまうのだ。
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温森おかゆ(まんじゅう)
温森おかゆ(まんじゅう)日記
2022/06/05 09:45[web全体で公開]
😶 長考、沈黙における思考探索2~理由~
前の日記で対策について非常に冗長に述べたわけだが、あれで「対策」のみである。
つまり自分はどうしているかのまとめをしただけだ。
あれだけ述べたのでは不十分なのである。
思うに長考するにも沈黙するにもそこには理由が存在しているからだ。
だからと言って「していいよ」とニコニコ微笑んで言える自信もないわけだが。理由があれ度が過ぎれば多少の迷惑であるから問題視されているのだし。
だから対策案を出すわけだし、理由はちゃんと考えるのである。
因みに長考が嫌いな私みたいな人間にも嫌う理由はある。

長考には様々な理由が考えられるが、大事なのでここで一つ挙げておきたいのは、プレイヤーの経験則からそういった嗜好が変わってくる可能性があるのではないかということだ。
例えば、順調に意思決定をしていたらKPの意志ひとつ、シナリオの加減一つで嫌な目に遭ったから怖くなったとか、自分が選んだ最良の選択が、何故かどうしようもない流れで最悪の結末を運んできたとか。
そういう場合はすべて長考するPLが全部悪いわけではない。
それに対しての対策は、結局はKPへの信頼である。無茶苦茶なことになりそうになったらちゃんと警告するとか、無茶なリスクを負わせないとか、そういった心構えが各KPには必要と言える。
長考するのに上記の経験則が思考に枷をはめているのであれば、安心できる場所であれば多少はのびのび出来るのではないだろうか。だが、経験則によるものだからと長考を仕方ないの一言で片づけるわけにもいかないのだから、その辺りはご理解いただきたい。

簡単な選択は最大5秒で決めろと言ったわけだが、たとえ簡単な決定だったとしても、思考時間が嵩張ることはあるし、
その問題の根本原因は大体「動かしている人間が『自分』ではないから」というところにあるのかもしれない。
例えば目の前にユウレイが現れたけれど、何だか悲しげな表情をしている…みたいな場面で、『自分』であれば大体の人は逃げるだろう。あるいはお化け屋敷なら、まじまじと見つめるかもしれない。
だが、TRPGの上でその事象に遭遇するのは「自分」ではない。自分が作ったプレイヤーキャラクターだ。そのキャラクターが、ユウレイがユウレイであることよりも、悲しげな顔をした誰かがこっちを見ている方が気になってしまうとんでもないお人よしだったりしたら、また答えは変わってくる。
「このキャラはお人よしで…えーと…逃げるんじゃなくとりあえず話しかけるかな…」みたいな決定になるかもしれない。しかしPLはそれを神の視点から選択するわけで、得体のしれないものに関わる事の危険性もしっかりわかっていれば、当然PCの選択とそのリスクについて悩まざるを得ないだろう。
プレイヤーキャラクターの方の答えはとうに決まっているのにPLがそれに振り回されてリスクを恐れ思考が嵩張る例だ。
これに関してはPCがPLでない限り仕方ないことだ。
じゃあどうすればいいかというと、前の日記で説明したように、卓で相談するなりダイスを振るなりして、やはり早く決めてしまった方が良い。PCがしたいとおりに「話しかけ」て憑依されて後悔するくらいなら、適当な理由をあててやった方が良い選択を選んだ方が良いだろう。
(上記で述べたのとは別に、その場に立ち尽くしたまま、まさに一歩も動かないのがいる。私が会ったのはどこに何があるか分からないようなことを先読みしようとしたらしいが、勿論不可能なので、無意味な時間ばかりが過ぎていった。とにかく探索すればいいところを一歩も動かない。ここまで来ると私も気持ちを理解しようとも思えない。
こういうタイプはどうすればいいかというと、とりあえず自分で決められないならいっそKPの言うことを聞く。とにかくどこかに探索する。とりあえず動く。これだけだ。というかこれは基本中の基本なので、こんなことをしていたらおかしいのである。
慣れている人間なら滅多なことではいないだろうから省こうかとも思ったが、自称完璧主義は無意味主義だということを覚えておいていただきたい。)

「何をするか」で悩むなら5秒もあれば決まる。時に、そこ以外の場所で悩む人がいるのである。
たとえばお人好しなキャラクターがユウレイに出会い、その悲しげな表情が気になって話しかける場面で、「どう話しかけようか」を悩む人がいる。だが、ここでしっかり明言しておくが、たとえその言葉に多少の脚色や演出が入ろうとも、私は思考時間にのみにおいて、それも「一瞬で」決まるなら私はすべて構わないとは思っている。細やかで美しい描写は映えるものだ。
ユウレイに話しかけると決めてGMに伝えるなら「ユウレイに『何かあるの?』と聞いてみます」といった具合だろう。それだけなら別にそう時間はかかるまい。だがその文に演出を加えようと首をひねれば、5秒なんてあっという間に過ぎる。
「優しい表情で小首を傾げ、『何かあるの?』と聞いてみます」といった具合のことを考えるのに、机の前でタイピングの手を止めたり黙り込んで10秒だとか20秒だとかかけていると周囲は戸惑う。
じゃあどうすればいいかというと、結局早くできないことなら質より量でさっさとできるように多少は諦めてしまった方が良い。つい長くなってしまう文をざっくりそぎ落として必要な情報だけにする。
リプレイなんかではみんなとても見栄えのするように作ってある。だがあれはセッション後の十分な推敲と脚色によるもので、セッション中までそうとは限らないのが現実なのだ。だから、RP分が見栄えしないからって気に病む必要は全くないのである。

自分のPCのために考えてあげたくなる気持ちも分かるが、結論としては残念ながら、PCがどう動くかやその演出や文を考えるのに何十秒も何分もかけてはいけない。
考えなかったことによるRPの不十分さや後悔よりも、沈黙し重苦しい空気を纏った卓の方がよほど心に来る。
自分も考えることで疲れるし、ついでに言うと他人もそれは同じだ。待ちくたびれる。
自分が良ければいいのではない。TRPGはみんなでやるゲームだ。そんな独り善がりがしたいなら、私はいつも言っているが、二ソ〒ソ卜゛ーヌウィッテでも持って何かゲームでもするといい。膨大なゲームがオンラインであっさり買える。
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温森おかゆ(まんじゅう)
温森おかゆ(まんじゅう)日記
2022/06/04 16:02[web全体で公開]
😶 長考、沈黙における思考探索1~対策~
TRPG学級会における永遠の未解決テーマと言えるこれ。
ぶっちゃけて言うと私もこれに関して話すのはクソめんどい。
何が面倒って、脊髄反射側も長考and沈黙側も全くもって別の立場であるからして、いわゆる個人差による思考速度やレスポンス速度の違いも絡むなどの複雑な問題であることも含め、ついでに今のところどちら側も「互いに『なぜ』そうするのか」という点に理解を示し、仲良く円卓に座って対策を練っている場面を見たことがないからだ。

上記の問題から考えるに、はなから残念な結論に至るが、結局のところ、こういう問題に対する「現状」での1番の解決策は「長考、沈黙する側が『長考した結果置いていかれることを許容』または待つ側が『長考、沈黙をある程度許容』する」か、「完全な棲み分け」くらいしかないと言える。

かくいう私も、日常において自分の頭の回転が早い自信はない。
欲しいけど使うかどうか分からない服や物を前にして買うか買わないかだけで日常シミュレーションが脳内で始まり、何なら3時間ほどたっぷり迷える。
紙一重で長考or沈黙派に入っているだろう。
だが、とりあえず自他どちらのものでもTRPGでの長考だの沈黙だのはあまり好きではない。考える時間は本人が楽しいだけで、その間レスポンスを待つ周囲の人間はただ「待つ」だけの時間であるからして。
なので、自分のそれに関しては個人的対策を打ち立ててそれを「どうにか」している。以下に述べる。
が正直全部一言で片付くのでここで言っておく。

【結論、テキストセッションで手が止まったら終わりだし、ボイスセッションで沈黙が大半を占めたら終わりだみたいな意識でやった方が良いと思っている。】

1.思考はだいたい3-5秒で片付けろ
例えば明らかヤバそうな邪神の像を、味方NPCが壊せと言ってくる…でも敵は「神の怒りに触れるぞ!」と脅してくる…どうしよう…みたいなのを像を抱えてチクタク考えるような選択肢でない限り。
つまり目的や解法がハッキリしている時。「思考は最大5秒で片付ける」。
というか、「うわぁ!目の前にユウレイが現れた!なんか恨めしそうにこっち見てるから逃げた方がいいかもな!」みたいな時はとりあえず「逃げる」、っていうだけの話であれば0.5秒くらいで片付くと思う。
そこで「いや触ってみたいな…」と思うのでも構わないが、くれぐれもさっさと決めること。「逃げた方がいいって言ってるけど、触ってみたいし、でも今逃げないと危ないかも…うーん…」なんて考えたらあっという間に5秒だ。そんな人は多分、奇を衒ったようなことは向いていないから、大人しく最適解、常識、通常の方法を選ぶようにすることを強くオススメする。
「今逃げたら触れるタイミングないかもな、触ろ!」ならたぶんかかっても3秒だ。それが出来る人はやきもきされることは普通ないだろう。そういう思考ができるか否かだ。
さっき述べた5秒は思考時間のリミット制限であって、いつも5秒かけろという話ではない。
ひとつの目的に対して、そこに至るまでの道を進む。
日常でそのような場面は幾らかあるかもしれない。そういう時、あなたはそれにいちいち悩むだろうか。「喉が渇いたけど眠いから二度寝したい…」とかいう場合は「喉を潤す」と「二度寝する」のふたつの目的に別れてしまうから、ここでは考えないで欲しい。
洗濯物を干さなきゃいけない。なら洗濯物を干す。郵便物の不在届が来ている。取りに行くか連絡する。
つまりそれだけの答えに、悩むだろうか。
いや、悩まないはずだ。
そういうはっきりしたことにTRPGでは度々立ち止まって悩んでいる人をたまに見かけるが、その時間の積み重ねで、周囲は段々と時計と睨めっこし始めるのだ。
さっさと決めてしまえる問題ならさっくり決めてしまう。その積み重ねがものを言う。

……そうは言うけど、TRPGでの思考5秒は流石に短すぎるんじゃないの?と思う人もいるかもしれない。
どうにも短すぎると思うなら、自分に合うように伸ばしたりしてもかまわない。考える時間にはどうしても個人差があり、3~5秒というのは私個人のやり方だからだ。

2.ダイスロールの活用
上に述べた「目的がはっきりしている問題では5秒で思考にカタをつけろ」という話とは別に「どうにも甲乙つけがたいというかどっちでもいいっていうかどう転ぶか分からない問題の選択肢」もよく出てくる。
例えばお気に入りの店で期間限定フレーバーのドリンクが出たが、いつもの味も好きだし悩む…みたいな問題の時。
誰でも考えるのに時間はかかるだろう。「期間限定だし今日はこれにしよう」とサックリ決めてしまえるのなら問題はないが、いつもの味を求めて来たのに別のものに思わず目移りしてしまって悩んだりしたら、大体は考え込んでしまうだろう。
考えるのも楽しいが、TRPGではそれを考えた先の答えを待つ周囲の人間やセッション自体の時間もある。
そういう問題の時、「コイントス」というのは本当に便利だ。
どっちを選んでもいいとか、どっちを選んでもどう転ぶか全然分からないとかそういう問題を前にして5秒以上悩みそうな時。そこでいったん思考を止めて、ダイスに任せる。PLならGMに一言断っておくこと。いきなりPLが謎ダイスロールし始めたらGMが戸惑うので。
選択肢の数でダイスロールをして、無作為に決めるのだ。
「重要な選択もダイスに任せるの!?」という人もいるだろう。確かに自分で選んだ決定ではなく、運に任せた選択には不安がつきものだ。ややこしい話にはなるが、ダイスに任せろとは言うけれど、ダイスに従えという意味ではない。
不安があっても絶対に従うのならそれもまた一興、だがここではまずダイスを振ることによって「一回思考を『決定』まで持って行く」ことが目的なのである。ちなみにこれは日常でも有効なので迷ったときは覚えておくといい。
その結果に納得いかないなら、別の方をとってもいい。ほら、一瞬で片付いた。
そこでまた「でも…」と悩んだり、やっぱりもう一回とダイスを振るのはやめた方が良い。とっ散らかるだけで、それをしたところで決められないことは悩んでいる限り永遠に決められない。
……というのも、そうして悩む問題は選択した先にある「結果」がどんなものが返ってくるかが全く見えないといったところに要因があるからだ。
期間限定フレーバーを頼んだが、思ったよりも不味いなんて結果が返ってくるかもしれない。そういう時「やっぱりいつものにしておけばよかったな」と思うのは仕方がないことだろう。
悩んだ末いつものにしたら、次の週また来た時には期間限定フレーバーが売り切れて買えなくなっていて、「ああ前に飲んでみればよかったな」と思うこともあるだろう。
どちらの選択肢にしたって後悔は先に立たない。自分にどんな未来が訪れるか分からない。濡れた洗濯物を干せば渇くとか、郵便物は取りに行けば自分の手元に来るとか、だいたい決まった結果が返ってくる問題ではない。どうしても考え込んでしまうのはそういう問題だ。
言ってしまえば、どう見てもあからさまでない限り、どんな選択肢を選んでも決めるときまで分からないわけなのだし、いっそどれを選んでも何かしらの後悔は避けられないのだから、適当に選んでも真面目に選んでもその点が大して変わることはない。

3.相談する
伝家の宝刀にして最重要にして基本中の基本。だが忘れがち。GM、PLの存在を最大限に活用する。
「ここでは何ができるの?」などとGMに聞いてしまう。他のPLに「どっちがいいと思う?」とか「何か提案はある?」とか聞いてしまう。
するとある程度決めやすくなったりする。ゲームはみんなでやっているわけなのだから、当然相談をしてもいいのだ。
因みに、悩んでいない時でも相談や軽い雑談くらいはしておくといい。いざ相談するにもいきなり話しかけると相手も答えづらいかもしれないので。

4.チャート診断式にする
よくある簡単な質問が書かれたマスを「Yes」か「No」で進むあれだ。
選択肢に条件を付ける。
例えばどう見ても怖い顔をした人間がこっちにずかずか向かってきている…ってとき。
「とりあえず話しかけてみてまともな反応がなかったら逃げる、冷蔵庫のプリン食べられて怒っているなどの説明があればとりあえず謝る」みたいなことだ。
YesかNoで片付く条件から答えを整理し導きだしていくと、意思決定はやりやすくなる。
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温森おかゆ(まんじゅう)
温森おかゆ(まんじゅう)日記
2022/06/02 18:25[web全体で公開]
😶 TRPGに関する創作スキルの重要性
誤解がないように言っておくが、創作ができる人というのは非常に素晴らしい。
確かに強い。絵が描ける、音楽が作れる、文字が書ける、etc...
それら全て、生半可な知識量ではできない技術だ。

だが結論を言おう。
それが「TRPGを囲む人間」の優劣を決めるわけでは決してない。
TRPGは結局ゲームだ。絵が描けることは確かに凄い。だが、マジな話、ゲームにおいて重要なのは得てしてそういうサブスキルではなく、プレイヤーとしてのマナーや「上手さ」だと思っている。

というのも結構前であるが、某SNSでどこかの自作立ち絵師プレイヤーが「絵が描ける」ことを理由にKP含むプレイヤー全員の中での優劣を決めてしまったという話を見てしまったため、今一度反面教師兼覚え書きとして書いている。
正直事実であってほしくは全くないし、いっそ完全な釣りであった方が心は穏やかだが……その騒動を完全な外野から眺めつつなんとも言えない気持ちになっていた。

ゲームを遊びに卓を囲むにあたって、絵が描けるってのはそれ自体で凄いことではあるが、TRPGにおいては少々花を添える程度だ。悪く言いたいわけじゃない。「別」だと言いたいだけだ。
だから、絵が描けるだの描けないだので勝手に人間同士に優劣を決めるのは、いかに素晴らしい創作者であっても、人としては全く凡愚のすることだ。
それは創作者ではない人にも言える。創作者者であるにせよないにせよ、一人のプレイヤーとしての誇りと矜恃はしっかり持っていて欲しい。
そりゃ自分で何かを創れるというのはすごいことだ。褒められていいことだ。
だがそれで人間の上下を決定する根拠には全くなり得ない。なってはならない。
せいぜい自作立ち絵作ったところでキャラクターの解像度がすげえ上がる程度のことなのだ。それがすげえんだけども。だけども。

で、ここまで当社比で言うととても丁寧にフォローを入れつつ懇々と「創作スキルがあるからって人間の優劣を決めてはならない」とは言ったものの、ではそれとは別にTRPGをするにおいて重要なスキルと言ったらなにか?
という話でさっき「プレイヤーとしてのマナーや『上手さ』」という話を出した。

誤解されるような言い方をして申し訳ないけれど、これもまた、「人間同士の優劣」を決定する材料にしてはならないので理解して欲しい。
なんにせよ、TRPGの円卓に座る身なら「一番ゲームの裁定に関する権利があるのはKP」であることには変わりない。PLは卓に座る以上、KPの話をよく聞いて、そしてよく従い、KPの裁定に疑問が生じたりした時にはよく話し合う必要がある。
だからと言って、一人一人別の人間としてはキーパーが偉いわけでも、プレイヤーが偉いわけでもないのだ。
そこまでいくともうただのイジ〆か差別あたりに繋がってしまう。

閑話休題。
いつもよりも注意深かったせいでいつもよりややこしい話になってしまったが……。
では「TRPGというゲームをする上で重要なスキル」の話に戻ろうと思う。
まずマナー。端的に言えば「相手を不快にさせない礼儀」だ。そう、言っちゃ悪いが少し前にテレビで見られたマナー講師の方々に半端じゃなく欠けていらっしゃったものだ。あれは寧ろ、綺麗な反面教師だと思っている。
その辺は少し考えれば分かると思うし、わかって頂きたいし、マナーに関してここで説明するとハチャメチャに冗長になるので各自ご一考頂きたい。

で、次に「上手さ」だが……こちらは少し細かくなってしまう。
端的に言えば「ゲームを円滑かつ、楽しく進めるやり方」のことだ。
これに関しては説明している自分が耳の痛くなる話であるのだが、例えばレスポンスの速さ。PL同士の場での「社交」スキル……有り体に言えば「コミュ力」だろうか……そして、「自分の入力が終わったことをテキセで周囲に知らせる合図をロールプレイの末尾につける」「ロールプレイとは別に、プレイヤーとしての考えをきちんと共有する」などの小さな配慮のこと。
これに関しては一朝一夕で得られるものでもないのは言うまでもない。
ここには挙げるが、だからと言って今からこのスキル身につけて行けなどと無茶振りをするつもりは無いので、そういうのも大事だと思われることもあるんだな、みたいなことを頭の4畳半の片隅にでも片付けて置いて頂きたい。

結局何が言いたいかと言うと、TRPGは人と人が平等に協力するゲームであることが殆どである。対立型であろうとも、「人」同士最低限の礼儀を忘れるようではいけないだろう。
親しき仲にも礼儀あり。
礼儀は大事だ、いついかなる時と場合においてしても。
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温森おかゆ(まんじゅう)
温森おかゆ(まんじゅう)日記
2022/06/01 02:14[web全体で公開]
😊 楽しかった冬山ホラーインザナイト
まぁ私の話は良いんだ。
だがまぁTRPGの大先輩にご心配をかけたついでにセッションに誘っていただき、5月31日無事完走アンド全員生還したので、こんな楽しい瞬間もあったのだとここにしっかり記録しておくことにする。

諸々の故あり、今回のセッションはPLとしてとKPとしての「修学旅行」のような気分で半分緊張、9割9分楽しみに参加させていただいたわけだが
結果はなんと大成功と言っていいだろう。KPの名采配、PL同士の配慮と、良い感じに遠慮がない連携が功を奏し、お互い全く初見同士とは思えない楽しいセッションになった。
PLとしてだとどうにも周りを気にしすぎてやりにくかった猪突猛進な私のプレイングも、他の皆様方の支援によっていい感じに成り立っていた。まぁ今回最初から割と遠慮しなかったんだけど。
セッションを始める前にKPとPL,PCの自己紹介があったからやりやすかったのだろう。
これも今後パクっていこうと思う。ハウスルールもしかり。
今回で学んだことが多すぎて修学旅行どころか「経験値マラソン」みたいだった。良い時間だった。学べたという意味でも、楽しかったという意味でも。同席したKPとPLの皆様方には心から感謝している。

ハウスルールも大先輩をパク……参考にして大幅な改良をする予定だ。誤解するなかれ、許可は取ってある。
他のKPの方のキーパリングをゲームを楽しみながら学ぶことが出来たとても有意義な時間だった。
シナリオ名は「Go for broke!」内容は伏せるが冬山極限ハートフルラヴクラフトサバイバルストーリーって感じだ。

PCたちはある日、4人でミニ旅行に向かう。
目的地に向かうため、冬山を車で越すことになるわけだが……
■PC
PC1 黙っていれば可愛いちょっとオタ気質な恋愛漫画家。
(探索において負けなしのビギナーズラックを持つ超有能キャラ。能力値が平均以上を上回っており、DEXも最も高かったためあらゆる場面で様々なサポートに長ける)
PC2 (クトゥルフ方面も)経験豊富な元軍人。アメリカ人。怪我をして引退したので日本に来た。漫画が好き。
(クトゥルフ2010から採用の武道(立ち技系)を用いる最強アタッカー。その半端ではなく高い火力で見事チームを守り抜き、継続探索者特有の経験が見せる判断力と優しいサポートで底からメンバーを支える)
PC3(自PC) かつて軍医だの色々していたが、何らかの理由で日本に流れ住んでいるフランス人メンタルセラピストおじさん。
(医学と心理学、精神分析のプロフェッショナル。再序盤は野菜たっぷりシチューを作り上げるという変に家庭的なところを見せ、中盤ではPC2の謎アーティファクトを誤って(故意的に)使い語尾にハートがついて完全なシリアスブレイカー兼ギャグ要員へと様変わりした。終盤においてはその覚悟と行動力で初期値技能をなんと成功させ、予期せず戦場のダークホースと化した)
PC4 オカルト記者。声が大きい。仕事とオカルトにかける情熱は本物で、そういう話があるところでは目を光らせる。
(探索や、武器技能の流用による活躍で輝いた。セカンドアタッカーのような立ち回りで活躍した一人でもある。その好奇心と快活さでみんなを支えるムードメーカー)

これら4人の完璧な連携と協力により、なかなか噛み応えのあるシナリオだったものの無事生還することが出来た。
まぁPC3は若干無茶していつものごとく死にかけたんだけど、PC2による迅速な対応と神的な受け流しによってなんとか命を取り留めた。あれは本当に終わったと思ったし、PC2さんには今でも心から感謝している。

濃密なセッションだったせいか、なんとも筆舌に尽くしがたい想いで日記にまとめている。
また今度じっくりとココフォリアを弄りながら、学んだことの復習と次回への意気込みを新たにしていきたい所存である。
今の私の心境は最強なので。もう何も怖くない。

ついでに、記念絵もTwitterの方にて投稿させてもらった。
主に主催していただいたお賽銭入れさんと、参加してくださったPLさんたちへの感謝を込めて。
こういうことはめったにしないのだが、今回はそれほど色んな方に助けられた回だと思うので。心境的にも。
シナリオ前にPCたちの関係性を決めていたわけで、PC1さんは恋愛漫画家、PC2さんは英語より日本語が得意で漫画やアニメが大好物な人。PC3はまだ日本語の難しい漢字が多分読みづらいレベルの日本語力を持ったおじさんのため、PC3を囲んでみんなで一緒に漫画を読んでいる(内容を教えてあげている)というような設定があったのだが、まぁそんな設定がシナリオ中特に生かされる場面はあまりなかった。
……ので、記念絵にて再現させてもらった。
シナリオ中の4人も本当にお互い仲が良く連携がしっかりしていたので、中の人全員にとっては存在しない記憶だが、きっとこんな瞬間もあったことだろう。

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温森おかゆ(まんじゅう)
温森おかゆ(まんじゅう)日記
2022/05/24 23:50[web全体で公開]
😶 役割を演じる(RP)とは
初心者は言う。「ロールプレイが難しい」と。
偉大な先人は言う。「ロールプレイとは『演技』をするというよりも『役割』を演じることである」と。

自分用のまとめみたいなものなので、実際に「エ゛ンッ…ロールプレイ難しいよぉできないよお」といった初心者の方はこんな日記を見ずにグーグルの検索欄に「TRPG ロールプレイ」とでも打ち込めばいいと思う。
いい感じにわかりやすく説明した記事がたくさん見つかるので。やはり先人は偉大だ。

ロールプレイ。なりチャという界隈からの人は驚くほどアッサリやってのけるやつだ。まあだからといって、全くの未経験者もロールプレイが難しいので止めますなんて悲しいことにはなって欲しくないもので。
ロールプレイなんてものは結局演技じゃないんだよー、演技できないとか関係ないよーといった意味合いの言葉なわけであるが。
私はその文字列を見て思った。「役割を演じるって何だよ」と。

結局演じてるじゃねえか。
冗談はさておき、この言葉に対する個人的解釈は「自分の動かすキャラクターに何ができるかを念頭に置き、動ける場面ではしっかり動く」ということだと思っている。
チェスのコマにもカードゲームのカードにも役割がある。
もっとわかりやすく言うとRPGだ。RPGには大抵、勇者と、魔法使いと、戦士と、神官辺りがいるもので。
それ以外の役職もあるがざっというとこんな感じで、どの役職にも「得意、不得意」ってものがある。
勇者はそこそこの魔法やダメージリソースを持つ中間的かつ器用なタイプ。魔法使いは大抵打たれ弱いものの、強力な魔法を繰り出す固定砲台。戦士は潤沢なHPと凄まじい破壊力を持つ純アタッカー。神官は回復が得意。ここが落ちるとジリ貧になるためか、ある程度HPが高いのもよく見る。
これはTRPGにも考え方を応用可能だ。クトゥルフ神話TRPGに例えると、「探索し情報を集めるのが得意な探偵、高い軍事知識でチームを守ってくれる軍人、医療知識を持ち、他者の精神や時に怪我も治療する精神科医」といった具合に。
勿論これに頼りすぎてもいけないのだが、大体ステータスの割り振りや技能値の割り振りもこういう感じになるようにシステムができている。

ヒーラー、アタッカー、サポーター、スカウト……。
簡単に分類してみれば、自分の手持ちのキャラクターがどういった状況を想定してビルドされているかが分かるのではないだろうか。それがわかっていれば、間違いなく「動くべき時」というのは来る。
探偵ならば、隠された情報がありそうな場所に来た時。軍人ならば、敵意ある存在に襲われた時。精神科医ならば、仲間が傷つき、精神が崩れかけた時。だいたいそういう「時」が来る。

「『役割』を演じる」という言葉は、そういう時に名乗りを上げられれば問題はないと言いたいのではないかと思う。
たぶん、何も難しい話ではなく、「目の前に怪我して助けを求めている人がいます!」ってときに医者キャラが全く沈黙してぼーっと突っ立ってるとかじゃなければいいのである。これも助けるか否かはケースバイケースではあるが、大体は仲間が怪我を負っている時にザキ、ザラキ、ザラキーマ撃ってるようなヒーラーじゃなければ大丈夫なのだ。
カードはしかるべき時に出すもの。TRPGの協力型は、いうなればプレーヤー全員が持つ手札を組み合わせて勝ちに行くポーカーゲームのようなもの。……というわけでもないけれど。

それはそれとして、やはり相手を説得する時には「じゃあどういうふうに説得しますか」と要求されがちなので。
というか「じゃあ説得するので理由もなしに状況を変えてください」は流石に無茶苦茶なのは言うまでもないことであるため。
そっちの「演技」というか「リアル説得・言いくるめ」技能は初心者のうちは諦めておくのが無難だろう。
上手い人はKP丸ごと言いくるめてくるのだから恐ろしい。
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温森おかゆ(まんじゅう)
温森おかゆ(まんじゅう)日記
2022/05/20 22:20[web全体で公開]
😶 自由と不自由の境界線ーディバイディングラインー
クトゥルフ神話TRPG30ページ。イントロダクションの最後にいい言葉がかいてある。
「TRPGとは『社交』そのものである」と。
こういう言葉にTRPGをする前に「触れて」欲しいから、私はTRPGをするのにGMくらいはルルブを所持しておくべきと思う派閥だ。
閑話休題。

TRPG……テーブルトークでゲームをする以上、いかに自由にしたくともやはり他者という別の意志を持った存在に動きを縛られることはある程度否めないというのは結論としてある。
どんなプレイも自由であることが何よりも魅力のゲームなのに「自由にできるとは限らない」というのはなかなか難しい話だろうけれど、結局はそうなのだ。
リプレイ動画なんかであるような笑えるほどひどいオチやプレイングも外野だから笑えるのであって、実際同卓でさほど仲良くもない人がいきなりそんな動きしてきても対応できないし困るってことの方が多いだろう。
ようするに、ルーニーするにもマンチするにもリアルロールプレイするにも全然構わない。が、あまりに頑ななプレイングは結局できないということを各自認識しておくべきだと思う。
我を通したいならマ〇ンクラフトでもやればいいわけだ。マイクラで山をTNTで大爆破して更地にしようがソロプレイなら一向に構わない。だが、TRPG上で完全に一人だけの判断によって何かを崩壊させたりしてはいけない。
それにも例外があって、相当仲が良く気の置けない友人でもいて、「え、シナリオで爆発落ちしたい?いいよ^^」なんて夢のように都合のいい話でもあってのことなら全然かまわないだろう。
自由でありながら不自由。TRPGの限界だ。

マンチやルーニープレイヤーにはつらい話かもしれないが、他の人と相談して可能な範囲で自分の好きに暴れればいいわけだ。本人たちが悪いわけではないとは思いたい所存だが、よく見るルーニーやマンチといったプレイングの問題というのは「自分で勝手に」ということから生まれているのが多い気がする。
何も言わずにやりたいことだけ通したらそりゃ齟齬も生まれよう。

TRPGは社交である。
他者の声を聞き、他者とうまく折り合いをつけないことには始まらない。
それが出来て初めて、社交そのものであるゲームは成り立つのだと思う。

要するに、テーブルトーク、いっぱいしようね♡
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温森おかゆ(まんじゅう)
温森おかゆ(まんじゅう)日記
2022/05/19 20:01[web全体で公開]
😶 いい卓だと感じる瞬間
どうも最近、独り善がりになっていた感じが否めなかったのでじっと考えつつ、優しい先輩に色々ご教授いただきながら
実際にプレイヤーとしてセッションに参加してみて
「自分は頑張っているのに、自分が納得いくセッションに(プレイヤー「も」楽しかったと言えるセッション)ならない」とか諸々の不満点を客観的に見つめ返す時間をいただいている。生真面目だなぁとか言わないでほしい。

まだまだ始まったばかりだが、それでも学ぶことはたくさんある。まずこういった場所でのキーパーの動き方とか。ココフォリアの超絶便利機能とか。スクリーンって超便利なんだね。
結論としては単純に経験が足りなかっただけだ。正直プレイヤーとしての自信はキーパー以上に皆無だったから頑固にキーパーばっかりやっていた。頭も固くなるわけだ。というか今現在もはや人と会話することすらできている自信がない。なのでいっそROMっていた。半年はやるつもりはないけど。合計半年なら予定あるかもしれない。

くとぅるったーでもオンセンでも、日々沢山の人の悩みや決意や思想が湧き出ては流れ、時にぶつかる。
ぶっちゃけまぁ「社交」って割とそんなもんだよなあと思いつつ眺めている。
人の考えなんて千差万別なんだから、ミリ単位の認識だのの違いでいつしかぶつかり合うことは避けられない。でもぶつかり合っても、川の流れのようにまじりあい、うねりを伴いながら正しい方向へともに進んでいくような「ぶつかり方」は意識したいものだ。「ディスカッション」、いい言葉だ。
つまり、真っ向から相手の意見を否定するような態度や言動は相手の意見が世の法や秩序に悪影響である時しかやらないようにする意識は大事だと思っている。

閑話休題。

プレイヤーでもキーパーでも、「ああいい卓だ」としみじみ感じる瞬間がたまにある。
キーパーが上手い。プレイヤーが上手い。動きやすい。やりやすい。普通に楽しい。
残念ながらそう感じる卓の作り方だのどうしてそう感じるのかの理由だのについては漠然と漫然としていて未だ分からない。
というかそう感じている時は没頭できているんだから、それを考える暇もない。
今のところ「楽しいな」と感じる卓はキーパーも上手けりゃプレイヤーも上手いし、そこにKPとPLの自然な協力関係が出来ている時に感じるので、どのみちその条件をそろえるのは難しいんだろう。
自分は漠然として「楽しいな」と感じているけれど、他の人は私と同じように感じられるんだろうか。
そこはとても気になるところだ。
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温森おかゆ(まんじゅう)
温森おかゆ(まんじゅう)日記
2022/04/10 09:27[web全体で公開]
😶 大事な事なので
KPも一応ゲームを楽しむために居るって忘れがちだし
KPも人によってはPLもゲームを楽しむために居るって忘れがちだよね(吟遊)

どっちかがそう思ってると自然と卓崩壊するよね
まずそこの前提抑えないと卓にならないよね
ってTRPG界隈ずーっっと定期的にどっかで誰かが言ってる感ある
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温森おかゆ(まんじゅう)
温森おかゆ(まんじゅう)日記
2022/04/10 06:31[web全体で公開]
😶 誘導のバランス
個人的な考えだが、プレイヤーがBAD ENDそのものではなく、BAD ENDを甘んじて受ける覚悟でそのルートや条件を選んだのでない限り、キーパーはグッドエンドに向かうようにそそそ〜っとかる〜く導くべきだと考えている。
全て知っているからこそ、キーパー裁量次第でそこは大抵どうとでもなるわけなのだから。
ただPLが「RP的にも、ここはそれを知ったとしても俺のPCはこっちを選ぶ」と宣言した場合は遠慮する必要は無い。RPの責任を負うのはPLのやることだ。
プレイヤー同士のコミュニケーションさえ円滑に取れていれば、どのような結果であっても問題がない。方針を導き出すためのコミュニケーションが多すぎて困ることはあまりない、はっきり伝えていくといいと思っている。

私の私見では、シナリオにおいて依頼者NPCや同行NPCは初見では極めて疑われやすい。
CoCだとすーぐ「ニャル…?」とか言われる。無自覚ニャルも存在不可能ではないから困る。だからこそトリッキーな立ち位置に居やすい特殊設定のエンターテイナーだと思う。
だが褐色肌だからといってニャルかどうか分からないし、黒髪だからってニャルと疑うのは些か安直だ。
そのような典型的褐色肌黒髪のAPP18で実はニャル様なんてNPCを出すシナリオは今どき正直過ぎて賞賛したくなるくらいだ。疑う必要が無さすぎて和みさえするかもしれん。
対して白髪の青年だの美中年は比較的外見的特徴が一致している場合が多い印象を受ける。旧き神のなんとかデンスさんは化身だらけという訳でもなく、ついでに言うとさり気なく助けに来ていることが多いため(なお大抵はっきり「助けに来たよ」と言ってくれる親切さは全くない)疑われると困るからなのかもしれない。
たまにノーなんとかさんが気に入るほうを選んでしまうとまずいこともあるので、正体が分かろうが信用はしてはいけないのがCoCだ。どちらにせよ信用出来ないというのが結論だろう。
閑話休題。

普通に考えて普通じゃない状況で近付いてきて何か頼んできたり何か知っていたり状況を良くも悪くも変化させたりするから疑われる。
疑うまではいかなくとも、プレイヤーの望み通りに動くわけでもないだろうから「余計なこと」をするのではないかというある種の恐怖を生む存在でもあるし。
たまに神話生物に特攻して死んで神話生物の興味関心を引いてしまう運命の頭パァな奴もいるかもしれない。

それを知っているのはKPだけだ。既プレイで違うPC持ってきて前回とは違う光景を見に来ているPLも居るかもしれないが。
疑心暗鬼が生まれてそれが誰かにとって不都合で不本意な結果になる可能性があるのなら、それとなくどこかでヒントをうっかり思わずちらっとこぼすのもアリなのではなかろうか。勿論KP発言ではなくシナリオ内の描写にした方がいい。KP発言だと疑いようがなくなってしまう。疑わせる気が本来全く無いし怪しんでる時間が惜しければKP発言でもいい。
NPCがなんか怪しいことをしていたとか。「解決したいんだ」と心からの真実をこぼすとか。それが真実であっても偽物であっても構わない。何にせよ判断条件を増やすだけなのだ。
それらの誘導を上手く使いこなすのもKPの技であると思う。KPは機械ではないのだ。ただPLの宣言から描写していくだけでも十分だが、そこから1歩進んだスキルを展開しても面白い。
その結果方針が変わっても変わらなくても、それはPLの自由というものなのだから。その事でKPが責められるべきことではないし、PLが悲しい結果に終わるようなことはあってはならない。
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温森おかゆ(まんじゅう)
温森おかゆ(まんじゅう)日記
2022/03/28 23:45[web全体で公開]
😶 シナリオの難易度調整
既存のシナリオをセッションで回す前に敵の強さを調整するなどという作業だ。PCの人数やステータス、技能、持っているアーティファクト、呪文などなどを総合した時の「強さ」に合わせて行う。

まあ、ぶっちゃけやる必要はないしそのまんま回してもいい。その結果起きるロストは、そういう運命だったのだと比較的諦めもつくかもしれない。よほどありえない敵とバチバチにやらされなければ。
キーパーにそんな高度なところまで気を遣えというのは横暴というものだ。
私もセッション回数が指折り数える程度の初心者の頃はやらなかった。というか体感の強さがあまり分からないし、何度かシナリオ踏んで理解したような感じだから出来なかった。
今はいつもギリギリ死ぬか死なないかくらいの難易度調整をしている。
おもいっきり呪文やアーティファクトなどを持たせているPC相手にはそれなりの難易度にはする覚悟だ。
バケモンも持ち出す。死にたくないと言うなら色々といいものをあげるが、決してヌルゲーにはしない。軽くあの世に送るつもりだ。そんなつもりでもダイスの神は生かさず殺さずを保ってくれる。ダイス神は天性のパフォーマーだからだ。

TRPGのシナリオの特徴は難易度がさまざまなところだと思う。シナリオライターそれぞれにさじ加減というものがあるからだ。
どのシナリオでも、条件に継続探索者と書いてない限りは新規キャラクターでも探索可能というのがTRPGの素晴らしいところにして難しいところだと思う。
言ってしまえば、行こうと思えば初心者の作った初心者新規探索者ビルドでも引っさげてラスボスの城に直で凸れるのである。トラウマ必至なのでそんなRTAをおすすめはしない。
TRPGのシナリオには一面二面三面という難易度調整はない。だからこそ自由な冒険を楽しめるものの、いきなり高い壁にぶち当たったり、あるいはぬる過ぎて拍子抜けしたりというのがある。
そういう時のための難易度調整を、積極的にやっていくのがいいと思っている。

で、この先は少し別の話になるんだけど。
実際、身内でやっていた時、ロスト許容できない初心者が希望シナリオで下手すればSAN値減少1D10/1D100のシナリオ持ってきたり、バチバチの戦闘シナリオ持ってきたりして頭抱えたからこういう思考になったわけだけど。

初心者は言い表すなら赤ちゃん…あるいはちゃれんじ1年生だと思って接した方がいいと思っている。
彼らは上級者からしてみれば当たり前のことを意外にも理解してないことは多い。分厚いルルブの中の特に読んでおかないといけない肝心なところを読み逃していたりなんて当たり前だ。それが重要なことだと、人から伝えられてやっと分かることもある。
上級者は何で知らないのとか、勉強不足とかインスト不足とか言っているが、分からないのだ。そんなの、もう私から言わせれば誰のせいでもないしまして初心者が知らないのに出来るわけない時点で本人のせいでは間違いなくないし、その責任は余裕ある上級者が負ってあげるのが一番カッコイイと思う。
右も左も分からない初心者に何も説明せずにいきなり理不尽に思われかねないモンぶつけた話で、上級者が上から目線で知識不足をなじるとかはもう見てられない。
とりあえず大人なら初心者に対する説明不足をいったん認めて丁寧に説明をするのが一番建設的だと思わんのか?と思わなくもない。知らんけど。

誰しも最初は痛い目を見て知った事柄のひとつやふたつあるのではないだろうか?初心忘るべからずだ。初心者笑うな来た道だ。
何度でも言うが初心者は上級者の当たり前を何も知らないと思っておいた方がいい。
初心者と関わるなら、多少の謙虚さと頭を抱える覚悟は必須スキルだ。
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温森おかゆ(まんじゅう)
温森おかゆ(まんじゅう)日記
2022/03/27 16:25[web全体で公開]
🤔 ロスト救済シナリオに関しての所見
CoCにはよくある、愛着のあるキャラクターを生き返らせるか転生させることの出来るロスト救済シナリオ。
モチのロン賛否両論あるが、私は時と場合によりアリだと思っている。
一応言っておくが私は全面的にアリともナシとも言うつもりもない。ナシと思うならそれでいいのだと思う。だから私がアリと思っていても、それはそれで良いのだ。

1つ目に、ロスト救済シナリオは個人の遊び方や許容範囲の問題で、ルール上の縛りは恐らくない。何だったら死者を甦らせる復活の呪文がCoCのルルブに記載されているくらいだ。相応のリスクを承知の上でロストしたキャラクターを復活させるロールプレイができるなら、私は頷くと思う。そういうのも見たい。
個人の遊び方を他人が声高に否定し縛ってはならない。
まずこういった理由で、なしだと思う人がいてもいいが「許容する」あるいは「許容しない」ルールを一定の広い界隈で扱うと問題だと言う結論に至る。
2つ目に。幸運なことに私はまだ出会ったことは無いが、「CoCは死んでこそ」みたいな風潮を持つキーパーに接触事故を起こしてしまった時の救済措置としての許容だ。
愛着のある継続探索者を面白半分で軽率にロストの憂き目に遭わされた日にゃいたたまれないだろう。
おそらくそういった相手とは根本の認識からまずうまがあわない相手と思われるので、ロスト救済と言わず「シナリオ自体なかったこと」にしてもいいと思う。
よほどどうしようもないシナリオ前提というのなら事前に告知しておくべきだし、そうでもなければ問題なく取り逃しもない状態で全ロストしたら、それはシナリオかキーパーに些かならず責任がある場合が多いのではないか。
3つ目。死と再生の物語は得てして命を扱う深いテーマであり、他では得がたい物悲しさ、絆、記憶、決意、さまざまな思惑や感動が生まれる。
ロスト救済シナリオは生き返りマース、マシタみたいなのはない。
黄泉の国にいき、あるいは呪文を唱え、神に会い、強く再会を願って。
さまざまな形でロストしたPCとの再会に向けて徐々に進んでいくものが多い。
何故わざわざロスト救済シナリオを踏ませてロストから救済するのか?ルールやギミックに沿った形でという免罪符的なこともあるのかもしれないが、そこには死を経てこその物語があるからである。シナリオ1本踏んで時間をかけて救済するという流れの中にストーリーを期待する。人間のエゴにして創作のエゴである。
それをプレイするというのもまた一興ではないかと思う。
別にロストから生き返らせたいだけなら生き返りマース、マシタでいいのだ、極論。
そこになぜ物語が付随しているのかと言ったらそういう理由なのではないだろうか。
実際私も一回プレイしたいなと思うロスト救済シナリオがある。ただ手持ちのロストキャラではなく、友人がいて、現世に絆があって、黄泉の国から連れ戻してでも会いたいと願ってくれる相手がいるキャラクターだ。まだ死んでないから出来ない。やろうかどうしようかも考え中。やったとして復活させるかさせないかも検討中。死なぬたぬきの皮算用か。
4つ目。これは個人差があるかもしれない。私の立場でぶっちゃけ言おう。
キャラシ作るの時間かかってめんどくさいし、簡単とはいえ計算めんどくさいし、シナリオの度に新しいキャラクター作ってきてとか言われるとたまにキレそうになる。あと私はキャラクターの立ち絵を描いているが、これも含めてキャラクリエイトになっているのでぶっちゃけ言うとマジでめんどくさい。
世の中にはセッションごとに絶対に新規キャラを作る謎の縛りを楽しんでいる人もいるらしい。結構な事だ。ムリ。
まあ上記の理由もあって、名前や立ち絵を使いまわして同名のそっくりさんくらいなら全面的に良いと思っている。
ゲームをプレイしている以上どんな遊び方をするかは各人の自由だ。ゲームに割けるリソースは少ない方がモチベーションも保ちやすい。

死の価値なんて某他のシステムではたかだか残基を失うくらいだ。
それに比べればCoCの思想はまだマトモな価値観してるので、初見でもなんとなくのリアル価値観でとっつきやすく、未だにこんな人気があるのかもしれない。
だからこその学級会もあるが……まぁあれだ
最終的に言いたいのは、シナリオはキーパーのものだが、プレイヤーキャラクターはプレイヤーのものだ。
どう扱うかは基本的にはプレイヤー次第だと思う。
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温森おかゆ(まんじゅう)
温森おかゆ(まんじゅう)日記
2022/03/24 22:02[web全体で公開]
😶 優れたKPとは
さっそく結論を言おう。
分からない。

いくら優れたキーパーだとしても、楽しい卓を作り上げられるかはまた別の話だからだ。
TRPGにおける成功を構成する最も大きな要素は「楽しめた」という経験に基づく非物質的で確定事項の存在しない感情であると考えている。
それをキーパーの裁量、プレイヤーの願望を叶えつつあらゆる環境の中、常に実現するのはまさに無理ゲーと言わざるを得ないと思っているからだ。
キーパーがいくらその点優れていたとしても、プレイヤーの協力なくしては不可能になる。
実際誰のせいでもないが、本当に楽しい卓というのは細心の注意を払いに払った上で、プレイヤーの全面的な協力の元、どうにか抽出できる程度のものだ。

昨今、有償で卓のKPを務めるというのがあるらしいが、問題も続出しているようなので、私は「(金を要求できるほど)優れたキーパーとは何なのか」について思うところがある。
因みに失敗体験しかまともに注意喚起として話題に上がらないから失敗談しか聞かないから、私には有償キーパーの是非について何ぞ語るつもりもないし、語れない。
なのでこれはそれとはまた違う話だと思っていただきたい。

あくまで「優れたキーパーとは何なのか」ということに焦点を置いて考えていきたい。
そして再度結論を言おう。分からない。
私は主にキーパーを行うことが多いのだが、前述のプレイヤーの良質なプレイ体験を守り通すのはとても難しいと言わざるを得ない。
1人として末端まで同じプレイヤーはいない。そのプレイヤーに臨機応変かつ柔軟に合わせつつ、楽しいと思えるような成功体験を与えられるように調整するのは半端じゃなく難しい。
まずキーパーの行った調整がプレイヤーにとって相性が悪いことまであるのである。
私はPCの強さに応じて敵のステータスを上げ下げするが、これがまたマンチキンプレイヤーには非常に相性が悪いと言った具合だ。彼らは自分が有利であればあるほど面白いのである。
因みに私はそういった俺TSUEEEEのどこが面白いのか分からない。なので、合わせられない。他を当たってくれと言うしかない。
多少厳しい局面をどうにか力を合わせて乗り越えるということにこそ達成感がある場合もある。私は主にそれを提供したいタイプだからだ。
協力しなくても俺TSUEEEできると分かると途端にPVPとかされたらたまったもんじゃないからというのもある。
無茶苦茶すぎる難易度にもしないし、温すぎる難易度にもしない。そのためならシナリオは多少ねじまげる。
敵の強さはよく曲げる。

まぁそういうわけで……プレイヤー各人に合わせているとキリがない。埒が明かない。
口のデカいプレイヤーに合わせていては他のプレイヤーをないがしろにしてしまうが、裁量しだいではいつでも理不尽を作り上げることが出来てしまうというのがゲームキーパーの難しいところだ。
そこを臨機応変にいつも公平公正に柔軟にとなったらもう半端じゃないスキルである。いっそメンタリズムや読心術に通ずるものがある。ヤバい。
優れたキーパーというのは存在しないのではないかと思う。
もっと厳密に言えば誰でも優れたキーパリングスキルを持っているし、また誰でも拙いキーパリングを行ってしまう可能性を常に孕んでいると言えるのではないか。

そういう意味では、有償キーパーというのは全く不確定要素多数の多い中で金を貰ってやっているわけで、相当有能なのか相当勇敢なのか相当何も考えてないのか、私はよく分からない。
探せばガチメンタリストとかやってるのかな。心理学99%持ちの。と夢想するのみである。
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温森おかゆ(まんじゅう)
温森おかゆ(まんじゅう)日記
2022/03/22 03:20[web全体で公開]
🤔 ルーニープレイの難しさ
ルーニープレイというのは本当に上手い人がやると映えるものだ。
動画などで上手い人がやっているのを見ると本当に次の行動予測が全く不可能なレベルで派手に気が狂っているわけだけれども、それでもロールプレイかダイスロールで魅せてくる。
因みに私は彼らほど気が狂ったマネはできず賢くもないので、出来る気がしないと言っておく。
上手い人のルーニープレイは大好物だ。できるかどうかと言われたらそれはまた全然別の話だ。

ルーニープレイと一概に言うが、私が思うに、あれはものすごく難しい。
自分1人気が狂ったマネをするくらいなら誰でも出来るが、場を和ませたり爆笑させるようなルーニープレイを魅せるとなると滅茶苦茶に難しい。
大抵シラケるのがオチだ。
下手なルーニープレイヤーは意味無く他のプレイヤーの邪魔しかしないからである。
許されたければ同じ卓を囲む相手がルーニープレイに対して寛容かどうかも関わってくるが、大事なのは「面白いやつが来たな」と思わせてその気にさせることだろう。デメリットの方がでかければ人間は直ぐに救いの手を引っ込める。問答無用でそういう心境になっていく。
これは仕方の無いことだ。

実際のところ、動画などで見るルーニープレイヤーは軒並みハイレベルなのが多いが、そこら辺に転がっているルーニープレイヤーは運試しもいいとこなのが多い。
特に面白くないものになるとただふざけたプレイをしたいのだなというのが目に見える。ただふざけたプレイをしているだけだ。頑張りは評価する。頑張りだけは。
悪いとは言わない。一応シナリオの進行に最低限でも手を貸してくれればの話だ。
最低限キーパーや他のプレイヤーの事を困らせないで欲しい。
カッコつけたい気持ちは分かるが、下手な覚悟でルーニープレイを振り回すべきではないと思う。

「ギャグ」というのは難しい。芸人でも高学歴はよくあるが、バカになりきるのは実は相当頭がいい人間の特権だ。
上手いルーニープレイヤーは軒並みなぜか頭がいい。頭の回転が早い。
さっきまで気が狂っていたのに急に冷静に核心をどつくタイプが必ずいる。
そして基本的には気が狂った行動をしているだけで、シナリオの中ではちゃんと探索に協力している。まぁ気が狂っているのでちょくちょく周囲の常識的な探索者がフォローする羽目になる訳だが。
それでもそのバカには独創性がある。誰も予想できない動きがある。だからこそ目を引かれ、そして面白いのだろう。

これが理想とか玄人面引っさげて言うつもりは無いけれど、ルーニープレイは難しい。
これはつくづく思っている。
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